終末預言を読み解く:第三神殿の再建

エルサレム神殿の丘

聖書では、いつの日か、エルサレムにユダヤ神殿が再建されることが預言されています。

エルサレムの神殿は、過去に2回建設されており、それぞれ第一神殿、第二神殿と呼ばれています。

  • 第一神殿:ソロモンの時代(紀元前10世紀頃)に完成。紀元前587年にバビロン軍によって破壊される。
  • 第二神殿:バビロン捕囚から帰還したユダヤ人が紀元前516年に再建。紀元70年にローマ軍によって破壊される。それ以降、現在に至るまで、エルサレムに神殿がない状態が続いている。

ユダヤ神殿が建っていた「神殿の丘」と呼ばれる土地には、現在イスラム教の「黄金のドーム」が建っています。しかし、神殿の丘にいつかユダヤ教の3つ目の神殿、第三神殿が建つというのが聖書の預言です。

関連聖句と解説

この神殿の再建について預言している聖書箇所は、ダニエル9:27、マタイ24:15、2テサロニケ2:3~4、黙示録11:1~2の4つです。ここでは、代表的なダニエル9:27aを取り上げます。この箇所は、7年間の大患難時代(Great Tribulation)が始まるしるしとなる出来事の預言です。

27  彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。

この箇所の「彼」とは「反キリスト」と呼ばれる人物のことで、「多くの者」はイスラエルを指します。「週」とは、ヘブル語で「7」という意味の語「シャブア」です。日本語で「週」というと7日間のことですが、ヘブル語のシャブアは単に「7」という意味ですので、文脈によって単位が変わります。この前後では年数を表す語として使われており、ここでは「7年間」という意味になります。この反キリストとイスラエルが7年間の「契約」(平和条約)を結ぶことで、大患難時代が始まるという預言です。

この預言で神殿に関して注目すべき点は、大患難時代が始まって3年半後の中間期になると、反キリストが「いけにえとささげ物をやめさせ」ると預言されていることです。イスラエルが「いけにえとささげ物」をささげる場所は、律法の規定でエルサレムの神殿と定められています。そのため、大患難時代の中間期までにはエルサレムに神殿が建っていることになります。この箇所が第三神殿の預言となっているのはそのためです。

神殿が建つ時期

ダニエル9:27aから、神殿は大患難時代の中間期までには再建されていることがわかります。ただし、具体的にいつ再建されるかまではわかりません。大患難時代に入る前に建てられる可能性も、大患難時代に入って3年半の間に建てられる可能性もあります。

ただ、言えることは、1967年の六日戦争(第三次中東戦争)が起こるまでは、神殿の再建は不可能だったことです。それ以前は、神殿の丘はヨルダンの統治下にあったためです。それが六日戦争でイスラエルの統治下に入り、預言が成就する状況が整ったのです。

反キリストが神性宣言を行う

反キリストが大患難時代の中間期に神殿のいけにえをやめさせることはダニエル9:27aで見ました。その詳細が2テサロニケ2:4に記されています。

4  不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。 

ここで「不法の者」は反キリスト、「神の宮」は神殿を指しています。反キリストは、エルサレムの神殿で自分こそが神であると宣言し、自分以外に対する礼拝をやめさせます。そのため、神殿でささげられるユダヤ教のいけにえも禁じられることになります。この時に、ユダヤ人は反キリストにだまされていたことに気づくのです。

神の臨在も祝福もない

ソロモン王の建てた第一神殿には、神の臨在(シャカイナグローリー)がありました(2歴代誌7:1~3)。バビロン捕囚後に総督ゼルバベルが建てた第二神殿には、主の臨在はありませんでしたが、主の祝福が約束されていました(ハガイ2:1~9)。しかし、第三神殿には、主の臨在も、主の祝福の約束もありません。イザヤ66:1~4には、次のような主のことばが記されています。

1  【主】はこう言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたがわたしのために建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。  2  これらすべては、わたしの手が造った。それで、これらすべては存在するのだ。──【主】のことば──わたしが目を留める者、それは、貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ。 
3  牛を屠る者が、人を打ち殺す者。羊をいけにえにする者が、犬の首を折る者。穀物のささげ物を献げる者が、豚の血を献げる者。乳香を記念として献げる者が、偶像をたたえる者。実に彼らは自分の道を選び、そのたましいは忌まわしいものを喜ぶ。  
4  わたしも彼らを厳しく扱うことを選び、彼らに恐怖をもたらす。それは、わたしが呼んでもだれも答えず、わたしが語りかけても聞かず、わたしの目に悪であることを行い、わたしの喜ばないことを選んだからだ。」 

ここでは、神殿を建てる者への祝福や励ましのことばはありません。むしろ、厳しい叱責の言葉があります。それは、神殿を建てる人々が、主が語ったみことば(聖書)に聞き従わないためです。

神殿では、祭壇で牛、羊、穀物、乳香などをささげますが、そうしたものがすべて、豚の血や偶像など汚れた忌まわしいものと見なされます(3節)。第三神殿は、反キリストが神性宣言を行う「反キリストの神殿」となり、神に真の礼拝をささげる場所とはなりません。

イスラエルで神殿の建設準備が進んでいるという報道に接することがありますが、キリスト教とユダヤ教では受け取り方がまったく異なります。第三神殿の建設は、ユダヤ教にとってはメシア到来のための準備ですが、キリスト教では反キリストの登場と大患難時代が近付いていることのしるしです。

参考資料

2 COMMENTS

イスラエルの国内情勢の変化と第三神殿への道 - 聖書ニュース.com

[…] 聖書では、終わりの時代にエルサレムに神殿が建つことが預言されている(「終末預言を読み解く:第三神殿の再建」参照)。その預言の中では、「いけにえとささげ物」がささげられていることも記されている(ダニエル9:27)。そのため、モリスのような神殿活動家の主張は、今は突飛な主張と思われても、必ず実現する。過去から現在に至るまでの歴史の流れを見ても、時代は聖書が預言した通りに進んでいることがわかる。モリスが言うように、かつてはイスラエルの地にユダヤ人国家を建設することも、ユダヤ人がエルサレムの西壁で礼拝することも夢物語だった。そして今、神殿の建設を公式に支持する政党が政権与党の一部となっている。もはや第三神殿の建設も、夢物語とは言えなくなっている。 […]

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