パリ五輪に見る欧州の反キリスト的精神

パリオリンピック開会式

7月26日に開催されたパリ五輪の開会式が論議を巻き起こしている。特に、反キリスト教的な演出が世界中で批判されている。私も開会式の動画を何度か見たが、趣味が悪いというレベルを通り越している。

ソーシャルメディアのX上では、さまざまな人が開会式を批判して、動画やテキストメッセージを投稿している。たとえば、次のような投稿がある。

(訳)2024年パリオリンピックは、完全にウォークのディストピア(暗黒世界)と化してしまった。
 開会式には、トランスジェンダーによる「最後の晩餐」のパロディ、金の子牛の偶像、そしてヨハネの黙示録の「青ざめた馬」まで登場した。
 オリンピックは、クリスチャンの視聴者を歓迎していないことを明確に示したのである。

上記投稿の左上の画像では、オリンピックの旗の前に金の子牛の像が置かれているのがわかる。左下と右上の動画は、レオナルド・ダビンチの絵画「最後の晩餐」をトランスジェンダーが再現したパロディと言われているもので、最も批判を受けている演出である。また、右上の動画の中頃で、マリー・アントワネットの斬首された首がしゃべる場面も評判が悪い。右下は、新約聖書の黙示録に記されている「青ざめた馬」と言われている映像である。

MEMO
この文章に出てくる「ウォーク(woke)」とは、英語では「目覚めた」という意味のスラングで、人種差別や性差別といった社会問題を意識していることを指す。ただ、ウォークを自称する人々は、性的指向や環境問題などの社会的、科学的にコンセンサスの取れていない問題についても先鋭的な主張を行う傾向があるという問題がある。

フランス国内の反応

フランスの文化相を務めたフィリップ・ド・ヴィリエは、今回の開会式をフランスの「恥」と呼び、次のように語っている。

私たちは、全世界の前で国家の自殺を行っている。ドラッグクイーンによる最後の晩餐とマリー・アントワネットの斬首は、醜悪なだけでなく不名誉だ。マクロンとウォーキズム(訳注:ウォークの主義主張)のフランスは、フランスではない。
― Kurt Zindulka, “France Committed National ‘Suicide’ with Woke Olympic Opening Ceremonies, Says Ex-Cabinet Minister,” Breitbart, 27 Jul 2024

We are committing the suicide of our country in front of the whole world. The Last Supper with drag queens and the beheading of Marie Antoinette add infamy to ugliness. The France of Macron and wokism is not France.

また、フランスの保守政党「国民連合」のマリーヌ・ルペン党首の姪であるマーリン・マレシャル下院議員も、同様のことを述べている。

2024年パリ五輪の式典を見て、ドラッグクイーンによる最後の晩餐のパロディで侮辱されたと感じた世界中のキリスト教徒に言いたい。やっているのはフランスではなく、どのような挑発でもいとわない少数派の左翼だ。私の名においてなされたことではない。
― Kurt Zindulka, “France Committed National ‘Suicide’ with Woke Olympic Opening Ceremonies, Says Ex-Cabinet Minister,” Breitbart, 27 Jul 2024

To all the Christians of the world who are watching the Paris 2024 ceremony and felt insulted by this drag queen parody of the Last Supper, know that it is not France that is speaking but a left-wing minority ready for any provocation. Not in my name.

最後の晩餐のパロディ

主催側の弁明では、「最後の晩餐」のパロディとされた場面は、実際にはギリシャの神々の饗宴だということである。しかし、これだけ「最後の晩餐」と似た構図になっていれば、キリストの最後の晩餐をあざける意図があることはクリスチャンでなくてもわかる。この演出に対して、バチカンなどキリスト教界が非難声明を出しているのも、制作者側の意図を感じ取っているためだ。米国の南部バプテスト神学校のアルバート・モーラー(Albert Mohler)学長は、次のような声明をソーシャルメディアのXに投稿している。

どの社会も、例外なく、支配的な宗教感情と関連する象徴を中心に形成されている。これが世俗主義的なものに取って代わられることの恐ろしさを、私たちはパリで目の当たりにした。あの演出はキリスト教を意図的にポルノ的なものに堕落させたもので、細部に至るまで意図があることを見逃してはならない。パリは新しいバビロンを目指しており、この中心には祭壇の後ろにいるドラッグクイーンが控えている。

“Every society – without exception – coalesces around a dominant religious impulse with associated symbols. The sheer horror of the secularist replacement is what we saw in Paris. It’s a deliberately pornographic corruption of Christianity. Don’t miss how intentional it is, right down to details. Paris aspires to be the new Babylon, with a drag queen at the center behind the altar.”

また、米ミズーリ州カンザスシティに本拠地をおくNFL(アメフト)チーム「カンザスシティ・チーフス」のキッカーであるハリソン・バトカーは、「最後の晩餐」のパロディに対し、新約聖書のガラテヤ6:7~8を引用してXに投稿している。

7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。 8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。 

イスラム教では、シャルリー・エブド事件など、アラーへの侮辱に対してイスラム教徒が暴力に訴えることがよくある。しかし、クリスチャンがそういう行為に訴えることはほとんどない。「敵を愛しなさい」というキリストの命令があることもあるが、神はご自分を侮る者に対して罪の精算をされることを知っているためである。クリスチャンが、十字架上で私たちの罪を負って死なれたキリストを信じ、神と和解をするように呼びかけるのはそのためである。

以下では、オリンピック開会式で指摘された象徴が何を意味するのか、聖書から少し解説したい。

金の子牛

オリンピックの旗の前に置かれていた金の子牛は、聖書では偶像礼拝の象徴である。偶像礼拝は、聖書の神が禁じていることの一つである。金の子牛への言及は、出エジプト32章、1列王記12:28などに見られる。たとえば、出エジプト32:1~4では次のように言われている。

1  民はモーセが山から一向に下りて来ようとしないのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。われわれをエジプトの地から導き上った、あのモーセという者がどうなったのか、分からないから。」 
2  それでアロンは彼らに言った。「あなたがたの妻や、息子、娘たちの耳にある金の耳輪を外して、私のところに持って来なさい。」 
3  民はみな、その耳にある金の耳輪を外して、アロンのところに持って来た。 
4  彼はそれを彼らの手から受け取ると、のみで鋳型を造り、それを鋳物の子牛にした。彼らは言った。「イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から導き上った、あなたの神々だ。」 

この場面では、金の子牛がイスラエルをエジプトから救い出した真の神の代わりに礼拝される偶像となっている。この事件以降、金の子牛は偶像礼拝の象徴となった。このような、キリスト教では否定的な意味を持つ金の子牛がなぜオリンピック会場に置かれることになったのか、合理的な説明は今のところない。

青ざめた馬

先ほどのXの投稿でもあったように、開会式で登場した銀色の馬は、黙示録に記されている「青ざめた馬」ではないかと言われている(黙示録6:7~8)。

7  子羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が「来なさい」と言うのを聞いた。 8  私は見た。すると見よ、青ざめた馬がいた。これに乗っている者の名は「死」で、よみがそれに従っていた。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す権威が与えられた。 

この「青ざめた馬」に乗っている者は「死」と呼ばれ、将来に訪れる「大患難時代」と呼ばれる人類最大の苦難が訪れる時代に、地上に住む人々の四分の一を殺す権威が与えられている。

この「死」と呼ばれている人物は、「反キリスト」だと考えられる。反キリストとは、終末時代に登場し、世界統一政府の頂点に君臨して世界を支配すると預言されている人物である。反キリストは、サタン(悪魔)の地上での代理人でもある。

このような反キリストの象徴が登場することに対して、不吉なものを感じ取る人は多いだろう。

MEMO
反キリストについて、詳しくは記事「終末預言を読み解く:反キリストの登場」を参照してください。

以上見てきたように、これだけキリスト教に由来する象徴が使われていると、このような演出の背後には反キリスト的な精神があると結論付けざるをえない。1ヨハネ2:18では、反キリストについて次のように言われている。

18  幼子たち、今は終わりの時です。反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であると分かります。 

今はまだ、大患難時代に世界を支配することになる単数形の「反キリスト(Antichrist)」は登場していない。しかし、反キリストの精神を持った人々(「多くの反キリスト(antichrists)」)は、現在も活動している。この活動の背後には、サタンと呼ばれる霊的存在がいることを忘れてはならない。

ヨーロッパの反キリスト的精神

マリー・アントワネットの首がしゃべるシーンなど、パリ五輪の演出は悪魔的なものを感じるが、正直に言うと見た時に驚きはなかった。パリ五輪以前から、悪魔崇拝的な傾向のあるヨーロッパの式典をこれまでにも見てきたためである。

スイスの「ゴッタルドベーストンネル」は、青函トンネルを抜いて世界最長となった全長57kmの鉄道トンネルである。この開通式が2016年6月1日に開催されたが、この式典が悪魔崇拝の儀式を思わせるものだった。式典は、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、フランスのフランソワ・オランド大統領など6か国の首脳が出席し、多額の税金も投入されている公式なものである。

あまりおすすめはしないが、ゴッタルドベーストンネル開通式の動画を見ていただくと、筆者が「悪魔的」と言う意味がわかっていただけると思う。ただ、この動画でも、きわどい部分はかなりカットされている(未編集版動画:前編後編)。

この動画を見るとわかるように、今回のパリ五輪開会式で見たような反キリスト的傾向は、フランスだけのものではない。キリスト教国であったヨーロッパ諸国では、反キリスト的精神が確実に広がっている。ただ、パリ五輪の式典に反発するフランス国民も多数いるように、この傾向は特に左翼的エリート層に見られる傾向であるように思う。

反キリストに関する預言

聖書では、反キリストはローマ人の末裔であると言われている。そのため、反キリストはヨーロッパで登場する可能性が高い。反キリストが台頭するということは、その時までにヨーロッパのキリスト教が弱体化していることも意味している。従来はキリスト教国であったヨーロッパ諸国が反キリスト的になりつつあるのは、預言どおりに歴史が動いていることを示している。

ヨーロッパで反キリストが登場する土壌ができつつあるということは、大患難時代の到来が近付いているということでもある。しかし、希望はある。聖書の1テサロニケ5:9では次のようにも言われているためである。

9  神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。 

これは、キリストを信じる人々に与えられていることばである。また、1テサロニケ1:10では次のようにも言われている。

10  御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。 

「やがて来る御怒り」とは、大患難時代を指している。キリストを信じる者は、携挙によって救い出されるという希望を語っている箇所である。そのため、時代が悪くなっても、キリストを信じる者には希望がある。この救いは、誰にでも無償で差し出されている。この救いを受け取る条件は、キリストの福音を信じることのみである。筆者は、一人でも多くの人がキリストの救いにあずかることを祈っている。

MEMO
大患難時代については、中川健一メッセージシリーズ「ヨハネの黙示録」(メッセージステーション)をお聞きいただきたい。大患難時代の記述を含め、黙示録の全体がわかりやすく解説されている。

2 COMMENTS

桑原義門

「ゴッタルドベーストンネル」のイベントフルバージョンを初めて観ました。

なんとここまで衝撃的、危機的、悪魔的な内容だったのですね。

パリ五輪のイベント演出もこれほどに反聖書的、反キリスト的、悪魔的と明確に観えるものを披露するのかと閉口しましたが、ゴッタルドベーストンネルはその比でない。驚愕の一言です。

キリスト者でなくても「異様」を感じるはずです。

これほどに悪魔と悪霊は働きは表面化し、人々に「当たり前さ」を植え付けているのですね。

異様さを感じても理解し、それが何なのか、目の前に披露されたいるものの意味を見抜くには聖書への信仰と知識がどうしても必要。しかしただ「聖書について」学んでも絶対にわからない。
字義通りに読んで行かないと不可能な領域。

本当に悲しいことであるけれども結果として、多くの人の命が大患難期に絶たれてしまうことは不可避と深く深く感じました。
けれどもそれは諦めではなく、選民思想でもなく、救わらたことへの安住でもなく、ただただ神の聖と神の権威の故にと言う意味です。

一人でも、ただ一人でも救いに預かる方に出会って伝えて行かなければ。

マラナタ

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kanrisha kanrisha

コメントありがとうございます。悪霊的なものを「当たり前」のものにしようという意図が感じられますね。NetflixやDisneyチャンネルなどを見ていても思いますが、昨今、悪魔や悪霊という存在をノーマライズ(当たり前化)しようとする動きが顕著です。聖書の預言どおり、社会が2テモテ3:1~2の状況に近付いていると感じます。

1  終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。 
2  そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒涜し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。 

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