終末預言を読み解く:バビロンの再建

終末預言

聖書の黙示録では、終末時代に世界統一政府が樹立されることが預言されています。

MEMO
世界統一政府の預言については、記事「終末預言を読み解く:世界統一政府」をご参照ください。

黙示録には、この世界政府の首都となる都市の名も記されており、「バビロン」または「大バビロン」と呼ばれています。その一例を挙げると、黙示録14:8では次のように記されています。

8 また、その御使いの後にもう一人、第二の御使いが来て言った。「倒れた、倒れた、大バビロンが。御怒りを招く淫行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませたが。」 

このバビロンが具体的にどこを指しているかについてはいくつかの説があり、大きく分けると2つの説にまとめることができます。

  1. 文字どおりのバビロンと解釈する
  2. 象徴的に解釈する

1つ目の文字どおりのバビロンと解釈する立場は、古代都市バビロンがあった地域(現在のイラク)にバビロンが再建されるとします。

2つ目の象徴的に解釈する立場では、バビロンは神に反逆する都市の象徴であって、実際には別の都市を指しているとします。この別の都市が具体的にどこであるかは諸説ありますが、イタリアのローマであるという説が有力です。

このようにキリスト教の中でも解釈が分かれますが、本サイトでは「バビロン」を文字どおりのバビロンと解釈する説を採用します。つまり、現在のイラクにある古代都市バビロンがあった地域にバビロンが再建されるという説をとります。以下では、「文字どおりのバビロン」説を採用する根拠を説明します。

最初は、プロテスタント教会では最も一般的な解釈である「黙示録のバビロンをローマと解釈する説」を採用しない根拠について説明します。

根拠1.バビロンをローマと解釈する読み方は聖書自体からは導き出せない

プロテスタント教会では、バビロンを象徴的に解釈する説の中で最も有力なのが「バビロン=ローマ説」です。この根拠の一つとして挙げられるのが、ローマ帝国の支配下でクリスチャンが迫害されていた時代に、クリスチャンの間ではローマを象徴的にバビロンと呼ぶ習慣があったという伝承です。この伝承によると、クリスチャンは隠語としてローマを「バビロン」と呼び、ローマの迫害を受けている信者間で使用していたとします。聖書では、1ペテロ5:13がその一例と言われています。

あなたがたとともに選ばれたバビロンの教会と、私の子マルコが、あなたがたによろしくと言っています。

これは一般的に、諸教会に手紙を送る時にローマにいたペテロが「バビロン」という隠語を使ってローマにいることを示唆したと解釈されています。ただ、問題は、この説明が正しいという証拠を聖書の中で見つけることができない点です。聖書には、この手紙を書いた時にペテロがローマにいたという記述はありません。ペテロはローマで処刑されたと言われていますが、そうだからといってペテロがずっとローマにいたということにはなりません。

むしろ、ペテロはこの時、実際にバビロンにいたと考える方が自然です。というのは、ガラテヤ2:7で次のように言われているためです。

それどころか、ペテロが割礼を受けている者への福音を委ねられているように、私(パウロ)は割礼を受けていない者への福音を委ねられていることを理解してくれました。 

ここでパウロは、「ペテロが割礼を受けている者(ユダヤ人)への福音を委ねられている」ことを明言しています。当時、バビロンにはイスラエルの地以外では最大のユダヤ人コミュニティがありました。バビロン捕囚に遭ったユダヤ人は、エルサレム再建とイスラエルの地への帰還が許されてからも、多くの人がバビロンにとどまったからです。使徒2:9でも、ペンテコステの日にペテロのメッセージを聞いたユダヤ人の中で「メソポタミヤ」(バビロンのある地方)から来た人がいたと記されています。また、イエスや使徒たちと同じ紀元1世紀に生きたユダヤ人史家ヨセフスも、バビロンのユダヤ人コミュニティについて次のように言及しています(『ユダヤ古代誌』)。1

しかし、ヒルカノスがパルティアに連行されたとき、フラアテ王は、ヒルカノスがどれほどの名家の出であるかをすでに知っていたので、とても優しく接し、そのために彼の拘束を解き、ユダヤ人が数多くいたバビロンに住まわせた。このユダヤ人たちは、ヒルカノスを大祭司および王として敬い、またユーフラテス河畔に住むすべてのユダヤ民族も同様に敬った。その点では、彼はとても満足していたようだ…

But when Hyrcanus was brought into Parthia the king Phraates treated him after a very gentle manner, as having already learned of what an illustrious family he was; on which account he set him free from his bonds, and gave him a habitation at Babylon, where there were Jews in great numbers. These Jews honored Hyrcanus as their high priest and king, as did all the Jewish nation that dwelt as far as Euphrates; which respect was very much to his satisfaction…

MEMO
ここに登場する「ヒルカノス」はヨハネ・ヒルカノス2世のことで、紀元前1世紀にイスラエルを治めたハスモン王朝の王の一人です。

当時の異邦人社会で最大のユダヤ人コミュニティがあったバビロンに、「ユダヤ人の使徒」であるペテロが訪れなかったとは考えにくいことです。

また、聖書の一般原則として、比喩として読む必要がある言葉は、比喩とわかるように書かれていたり、聖書のどこかに説明があったりします。たとえば、黙示録11:8には、エルサレムに登場する「二人の証人」に関する次のような文があります。

8  彼ら(訳注:二人の証人)の死体は大きな都の大通りにさらされる。その都は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれ、そこで彼らの主も十字架にかけられたのである。 

ここでは、二人の証人が殺された「都」の名前は明らかにされていません。この都は、「ソドムやエジプト」と呼ばれていると言われていますが、この表現が比喩であることは「霊的な理解では」という言葉が先行していることからわかります。この都市の実際の名前は、「彼らの主も十字架にかけられた」という言葉からわかるように、エルサレムです。

このように、比喩的に理解する必要がある箇所には、通常、聖書で比喩の意味がわかるように記されています。しかし、黙示録の「バビロン」には、そのような説明がありません。これは「バビロン」を文字どおりの「バビロン」と解釈する必要があることを示しています。

根拠2.旧約預言のバビロンに対する預言がまだ成就していない

「バビロン」を文字どおりのバビロンと解釈する説を採用する2つ目の根拠は、旧約聖書の預言です。

イザヤ13~14章とエレミヤ50~51章には、バビロンの滅亡が預言されています。そして、実際に、古代バビロンはメド・ペルシャによって紀元前539年に滅ぼされます。ところが、紀元前539年のバビロン陥落と、このイザヤ書とエレミヤ書の預言で語られる内容は大きく食い違っており、以下のような違いがあります。

イザヤ13~14章

イザヤ13~14章には、紀元前539年に滅びたバビロンには当てはまらない預言がいくつかあります。この預言は、将来のバビロンで成就する必要があります。

  1. イザヤ13:6、9では「主の日」という言葉が使われており、この言葉は基本的に大患難時代を指す言葉である。
  2. イザヤ13:10~13では、バビロンの崩壊時に天変地異が起こることが預言されている。このようなことは紀元前539年のバビロン崩壊時には起きなかった。この記述はキリストの再臨時の描写(マタイ24:27~30)に近い。
  3. イザヤ13:11~12では、全世界に刑罰が下り、人間が「純金よりもまれに」(12節、新改訳第三版)なると言われている。紀元前539年のバビロン崩壊では、全世界への影響も、極端な人口減少も起きなかった。これは将来に成就する預言と考えたほうがよい(マタイ24:21~22、黙示録6:8、9:15、18参照)。
  4. イザヤ13:19では、「バビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる」と言われている。しかし、バビロンは紀元前539年にペルシャの支配下になった後も、繁栄した都市だった。これはソドムとゴモラの滅亡時の記述とは大きく異なる(創世記19:24~28)。
  5. イザヤ13:20~22では、「永久に住む者もなく、代々にわたり、住みつく者もない」(20節)と言われているが、紀元前539年以降もバビロンには人が住み続けた。
  6. イザヤ14:5~8では、バビロンが滅亡後、「全地は安らかに憩い」(7節)として全世界に平和が訪れると言われているが、実際にはそうなっていない。
  7. イザヤ14:1~4では、イスラエルに霊的回復が起こると言われているが、そのような回復が起こるのは将来のことである(ローマ11:26~27)。

また、イザヤ書には13~14章のほかに、イザヤ21:1~10にもバビロンの預言があります。イザヤ13:5では、バビロンを滅ぼす勢力は「遠い地から、天の果てからやって来る」と言われているのに対し、イザヤ21:2では、バビロンを攻略するのは「メディア」と「エラム」(メド・ペルシャ)と言われています。このことから、この2つの預言は別のもので、イザヤ13~14章は黙示録の時代のバビロンに関する預言、イザヤ21:1~10は紀元前539年に陥落した古代バビロンの預言であると考えることができます。

エレミヤ50~51章

エレミヤ50~51章でも、イザヤ13~14章と同じことが言えます。バビロンの崩壊を預言していますが、この預言では紀元前539年のバビロン崩壊では起きなかった以下のようなことが預言されています。

  1. エレミヤ50:3では、「北から一つの国がそこに攻め上り」と書かれているが、メド・ペルシャはバビロンの東から侵略してきた。
  2. エレミヤ51:8では、「バビロンは、たちまち倒れて砕かれる」と言われているが、バビロンは突然滅びたわけではない。ペルシャ侵攻後も大都市として長く栄えた。
  3. エレミヤ50:3、13、26、39~40、51:29、43,62を見ると、バビロンは完全に、永久に滅びると預言されているが、古代バビロンは崩壊後も栄えていた。
  4. エレミヤ51:26では「だれもおまえから石を取って、要の石とする者はなく、礎の石とする者もない」と言われているが、古代バビロンの石材は周囲の都市の建設に使用された。
  5. エレミヤ50:8、51:6、45では、信者はバビロンの崩壊時に逃げるように言われているが、メド・ペルシャがバビロンを占領した時にユダヤ人がバビロンから逃げたという記録はない。実際に、預言者ダニエルはバビロンがメド・ペルシャに占領された後もバビロンにとどまり、メド・ペルシャのダレイオス王に仕えている(ダニエル5:29~6:2)。
  6. エレミヤ50:2、4~5、20、51:50では、イスラエルが再び一つになり、主に悔い改めると言われているが、古代バビロンの崩壊後にはそのようなことは起こらなかった。むしろ、イスラエルは、ハガイ、ゼカリヤ、マラキといった捕囚後の預言者を通して神の叱責を受け続けた。

イザヤ書とエレミヤ書の預言を読めば、ここに書かれている多くのことが紀元前539年のバビロン崩壊では成就しなかったことがわかります。この2箇所の預言が成就するには、将来にバビロンが再建される必要があります。黙示録の「バビロン」を文字どおりのバビロンと解釈する必要があるのは、この旧約聖書の預言があるためです。

この点について、聖書学者のジョン・ウォルバード(John Walvoord)は次のように語っています。2

歴史的な成就に関して言えば、聖書と歴史の両面から、これらの節が文字通り成就していないことは明らかである。バビロンの町は、メディア人に征服された後も、その栄光は衰えたとはいえ、形や実体は変えつつも紀元1000年まで存続した。特に、メド・ペルシャの支配が終わった紀元前323年以降は繁栄を謳歌している。この預言で告げられていたような突然の滅亡は起こらなかったのである。

As far as the historic fulfillment is concerned, it is obvious from both Scripture and history that these verses have not been literally fulfilled. The city of Babylon continued to flourish after the Medes conquered it, and though its glory dwindled, especially after the control of the Medes and the Persians ended in 323 B.C., the city continued in some form or substance until AD. 1000 and did not experience a sudden termination such as is anticipated in this prophecy.

また、エレミヤ50~51章と黙示録17~18章の記述は共通点が多く、エレミヤの預言と黙示録の預言は同じバビロンを指していると考えると納得できます。この2つの聖書箇所には、以下のような類似点があり、黙示録の記述は、エレミヤ書の記述と明らかに重なっています。3

表1:エレミヤ50~51章と黙示録17~18章の類似点

エレミヤ 黙示録
金の杯のたとえ 51:7a「バビロンは【主】の手にある金の杯」 17:4「その女は…金の杯を手に持っていた」(18:6参照)
大水のほとりに住む 51:13「大水のほとりに住む」 17:1「大水の上に座している大淫婦」
諸国を酔わせる 51:7b「すべての国々はこれに酔い、国々はそのぶどう酒を飲む」 17:2「地に住む人々は、この女の淫行のぶどう酒に酔いました」
同じ名前 50:1「【主】が…バビロンについて、すなわちカルデア人の地について語られたことば」 17:5「大バビロン、淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」
18:10「力強い都バビロンよ」
突然の滅び 51:8「バビロンは、たちまち倒れて砕かれる」 18:8「一日のうちに、様々な災害、死病と悲しみと飢えが彼女を襲います」
火によって滅ぼされる 51:30「その住まいは焼かれ」 17:16「…十本の角と獣は、やがて淫婦を憎み、…火で焼き尽くすことになります」
18:8「彼女は火で焼き尽くされます」
二度と住めなくなる 50:39「もはや永久に、人は住まず、代々にわたって、住む者はいない」 18:21「大きな都バビロンは、このように荒々しく投げ捨てられ、もはや決して見出されることはない」
行いに応じて報いを受ける 50:29「その行いに応じてこれに報い、これがしたとおりに、これにせよ」 18:6「あなたがたは、彼女が支払ったとおりに彼女に報いなさい」
滅亡のたとえ 51:63~64「それに石を結び付けて、ユーフラテス川の中に投げ入れ……このように、バビロンは沈み、浮かび上がれない」 18:21「一人の強い御使いが、大きいひき臼のような石を取り上げ、海に投げ込んで言った。「大きな都バビロンは、このように荒々しく投げ捨てられ、もはや決して見出されることはない」
神の民は逃げる 51:6「バビロンの中から逃げ、それぞれ自分自身を救え」
51:45「わたしの民よ、その中から出よ。【主】の燃える怒りから逃れ、それぞれ自分自身を救え」
18:4「わたしの民は、この女の罪に関わらないように、その災害に巻き込まれないように、彼女のところから出て行きなさい」
天に喜びがある 51:48「天と地とその中にあるすべてのものは、バビロンのことで喜び歌う。北からこれに向かって、荒らす者たちが来るからだ ─【主】のことば─」 18:20「天よ、この都のことで喜べ。聖徒たちも使徒たちも預言者たちも喜べ。神があなたがたのために、この都をさばかれたのだから。」

以上見てきたように、イザヤとエレミヤの預言が成就するには、将来にバビロンが再建される必要があります。古代バビロンでは、イザヤとエレミヤが預言したようなことは成就しなかったためです。また、預言の内容から、イザヤとエレミヤは黙示録の時代のバビロンを預言したと考えられるためです。

根拠3.黙示録のバビロンの記述が現在のイラクにあるバビロンに当てはまる

黙示録の「バビロン」が文字どおりのバビロンを意味すると解釈するもう一つの根拠は、黙示録のバビロンに関する記述が現実のバビロンによく当てはまるためです。そのような記述として、以下が挙げられます。

黙示録9:14、16:12「大河ユーフラテス」

黙示録9:14には、次のような預言があります。

その声は、ラッパを持っている第六の御使いに言った。「大河ユーフラテスのほとりにつながれている、四人の御使いを解き放て。」

「大河ユーフラテス」というのは、現在のイラクを流れるユーフラテス川で、バビロンはこの川のほとりにありました。黙示録に記録されている災厄をもたらす御使いが、「ユーフラテス川のほとり」につながれているというのは、バビロンの地が持つ終末論的な重要性を示唆しています。

また、黙示録16:12にも、「大河ユーフラテス」に言及した次のような預言があります。

黙示録16:12

12 第六の御使いが鉢の中身を大河ユーフラテスに注いだ。すると、その水は涸れてしまい、日の昇る方から来る王たちの道を備えることになった。 

この箇所は、「ハルマゲドンの戦い」と呼ばれる預言の一部で、「日の昇る方から来る王たち」の軍がイスラエルのメギドの丘(ハルマゲドン)に集結する前の場面です。この預言は、この軍がイスラエルに向けて進軍しやすくなるように、ユーフラテス川が涸れるというものです。ここでも、バビロンの西を流れるユーフラテス川が言及されています。

MEMO
ここでもう一つ注目すべきは、ユーフラテス川の東にあるチグリス川は涸れていないという点です。「日の昇る方から来る王たち」をアジアと解釈し、アジアから軍が押し寄せてくると解釈する聖書学者がいますが、それだと、チグリス川も涸れないとあまり意味がありません。いずれにせよ、チグリス川を大軍が渡河する必要があるためです。ユーフラテス川が涸れて大軍が進軍する道が備えられるということは、この軍がチグリス川とメソポタミヤ川に挟まれたメソポタミヤ、つまりバビロンの地から出発することを示唆しています。バビロンはユーフラテス川の東岸にある町ですので、ユーフラテス川が涸れるとバビロンから陸路で西方のイスラエルに進軍することが可能になります。ここでは、反キリストの軍が首都のバビロンから出発すると解釈するのが自然な読み方であると思います。

黙示録17:3「荒野」

次に、黙示録17:3には次のような記述があります。

それから、御使いは私を御霊によって荒野へ連れて行った。私は、一人の女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神を冒涜する名で満ちていて、七つの頭と十本の角を持っていた。

使徒ヨハネは、御使いによって「荒野」に連れて行かれ、「一人の女」を見たとあります。この「女」は前後の文脈からバビロンを指しています(黙示録17:5など)。もし黙示録のバビロンを「ローマ」と解釈する説だと、「荒野」という記述と合いません。一方、バビロンのあるイラクは砂漠や荒野が多い国で、バビロンも荒野と言ってよい地にあります。

黙示録17:5「淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」

黙示録17:5では、「大バビロン、淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」と言われています。この箇所について、ユダヤ人神学者のアーノルド・フルクテンバウム博士は次のように解説しています。4

淫婦の母である大バビロンは、偶像崇拝の発祥地であり、したがって、霊的な姦淫の発祥地でもある。そのため、患難時代の偽りの宗教体制の起源は、バビロンという都市にあるということになる。「淫婦の母」という呼称は、バビロンが偶像崇拝と霊的姦淫の始まりの地であることを意味し、それはヘブル語聖書で明確に確認できることである。

As the mother of harlots, Babylon the Great is the originator of idolatry and, therefore, of spiritual fornication. Hence, the origin of the false religious system of the tribulation will be the city of Babylon. The designation “mother of harlots” means that Babylon is where idolatry and spiritual fornication began, something clearly affirmed by the Hebrew Scriptures.

フルクテンバウム博士の言う「ヘブル語聖書」(旧約聖書)の箇所は、創世記10~11章です。ここでは、バビロンは人類が一つになって神に反逆した最初の場所とされています。創世記11:2~6では次のように言われています。

2  人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。 3  彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。 4  彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届くを建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」 5  そのとき【主】は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。 6  【主】は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。 

2節の「シンアルの地」とは、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域を指し、メソポタミヤと呼ばれる地域です。この地に建てられたのが、後に「バベルの塔」と呼ばれる塔です(4節)。バベルとバビロンは、ヘブライ語では同じ言葉(בּבל)です。このバベルについて、ユダヤ人史家のヨセフスは次のように語っています。5

彼らが塔を建てた場所はバビロンと呼ばれた。それは、これまでは難なく理解できた言語が混乱したためである。ヘブル語で「バベル」という言葉は「混乱」を意味するからだ。

The place wherein they built the tower is now called Babylon, because of the confusion of that language which they readily understood before; for the Hebrews mean by the word Babel, confusion.

このバビロン(バベル)の地に集まっていた人々は、6節で「一つの民」と言われています。つまり、人類は一つになって、バベルの塔を建てて神に反逆していたことになります。一方、黙示録では、反キリストが世界統一政府(One World Government)を樹立し、人類が一つになって神に反逆することが預言されています。この2回の神への反逆が、同じバビロンの地で起こると聖書に記されているのは偶然ではありません。シェーファー神学校校長のアンディ・ウッズ博士は、この点について次のように語っています。6

人類の反逆が回りまわってすべてが始まった地に戻ってくることは、聖書を熱心に学ぶ者にとって驚くことではない。創世記と黙示録には、両方に共通する数多くのテーマがあり、両者の間には対応関係があるからだ。この現象について、ヘンリー・モリスはこう考察している。「黙示録は創世記の後編であり、この二つの書物がすべての歴史を結びつけ、神の人類に対するすべての啓示を結びつけている。この二書は、書かれた神のことばのアルファとオメガを構成し、「始まりの書」と「ベールがはがされる書」を構成している。たとえば、創世記1~2章のはじまりの世界と黙示録21~22章の永遠の状態との間に見られるテーマの類似や、創世記3章に描かれた呪われた世界と黙示録21~22章の永遠の状態との間の対比が挙げられる。

The fact that human rebellion will one day cycle back to where it all began comes as no surprise to diligent Bible students due to numerous parallel themes or common denominators running through both the books of Genesis and Revelation. Of this phenomenon, Henry Morris observes, “The Book of Revelation is the sequel to the Book of Genesis, the two books together bounding all history and bounding all of God’s revelations to mankind. They constitute the alpha and omega of God’s written Word, the Book of Beginnings and the Book of Unveilings.” Examples include the thematic parallels between the probationary world of Genesis 1-2 and the eternal state of Revelation 21—22, as well as the distinctions between the cursed world as depicted in Genesis 3 and the eternal state of Revelation 21—22.

また、バベルの塔を建てたことには、宗教的な側面もあることにも注目する必要があります。この点について、ウッズ博士は次のようにも語っています。7

この背教の政治的要素は、シンアルの地に建てられた都市と塔という目に見える形で明らかになっているが(創世記11:4)、この背教の宗教的側面を過小評価しないことが重要だ。自分たちの名を上げたいという願望により(創世記11:4)、「バビロンは人類がはじめて組織的にみずからを礼拝し始めた都市となった」。さらに、「天に届くようにという思いを込めて建てられたジグラットは、天体を崇拝するオカルト的な礼拝所であったことは間違いない」。実際に、バベルの塔の宗教的な側面は、「バベル」という名称の由来に注目することで見てとれる。バベルの塔という名前の由来は、「バブ(門)」と「エル(神)」から来ている。この塔の建設に携わった人々は、「天に届く階段」、神ご自身に至る門を作ろうとしたのである。

While the political components of this apostasy are evident in the tangible manifestations of a city and tower (Gen. 11:4) at Shinar, it is important not to underestimate the religious dimension of this rebellion. Because of the desire to make a name for themselves (Gen. 1 1:4), “Babylon is the city where mankind first began to worship himself in an organized manner.” Moreover, the “ziggurat, intended by them to reach the heavens, was no doubt intended to be a place of occult worship of the stars and heavens.” In fact, the religious aspect of the Tower of Babel can be observed by noting where the very name “Babel” is derived. Ultimately the name comes from bab (gate) and el (God). Those involved in this building project were seeking to create a “stairway to heaven” or a gateway unto God Himself.

以上をまとめると、次のようになります。

  1. 人類はバビロンではじめて一つになって神に反逆した。
  2. バビロンは組織的な偽宗教の発祥の地である。

このように見てくると、バビロン以上に「淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」(黙示録17:5)と呼ばれるのにふさわしい町はないと言うことができます。

まとめ

以上、黙示録で預言されている「バビロン」が、文字どおり現在のイラクにある「バビロン」である根拠を示してきました。今は荒野となっているこの地に、繁栄した大都市が出現し、しかも世界政府の首都になるというのが聖書の預言です。今は多くの人が信じられないと思いますが、聖書の預言は必ず成就することはこれまでの歴史が証明しています。

参考資料

  1. Josephus, Antiquities, 15.2.2 sited in Andrew M. Woods, Babylon: The Bookends of Prophetic History (Dispensational Publishing House, 2021)

  2. John F. Walvoord, The Nations in Prophecy (Grand Rapids: Zondervan, 1967), pp.63-64, sited in Andrew M. Woods, Babylon: The Bookends of Prophetic History (Dispensational Publishing House, 2021), p.22

  3. Charles H. Dyer, “The Identity of Babylon in Revelation 17-18 Part 2”, p.441-443

  4. Arnold G. Fruchtenbaum, The Footsteps of Messiah: Revised 2020 Edition (Ariel Ministries, 2020)

  5. Josephus, Antiquities of the Jews, 1.4.3

  6. Andrew M. Woods, Babylon: The Bookends of Prophetic History (Dispensational Publishing House, 2021), p.14 (Kindle版)

  7. Andrew M. Woods, Babylon: The Bookends of Prophetic History (Dispensational Publishing House, 2021), p.11 (kindle版)

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