イスラエルに関するよくある誤解(1)イスラエルはパレスチナ人から土地を奪って建国された

エルサレム

この記事は、事実や史実に基づいて、イスラエルに関する誤解を解いていくシリーズの第一回です。現在(2023年10月現在)、イスラエルとイスラム過激派組織ハマスの間の戦いをめぐって激しく議論されていますが、まずは事実関係を整理しておく必要があります。

イスラエルに関する誤解の一つに、「イスラエルはパレスチナ人から土地を奪って建国された」というものがあります。これはよく聞く主張ですが、イスラエル建国の歴史を紐解くと誤解であることがわかってきます。この誤解を解くには、以下の5つの事実を確認する必要があります。

  1. パレスチナ人という民族は存在しない
  2. パレスチナ人の国は歴史上存在したことがない
  3. パレスチナはユダヤ人入植者と共に発展してきた
  4. 国連パレスチナ分割案は人口比に従って作成された
  5. イスラエルは国際法に従って建国された

上記は公開情報で確認できる事実や史実です。以下に根拠となる文献を挙げながら説明します。

1.パレスチナ人という民族は存在しない

パレスチナ人という民族は存在しません。これはパレスチナ人と呼ばれる人々がみずから認めている事実です。

パレスチナは民族名ではなく地域名

聖書学者のトーマス・アイス(Thomas Ice)は、「パレスチナ人(Palestinian)」という言葉を次のように説明しています。

まずはこの言葉の歴史から説明しよう。紀元135年、ローマ皇帝ハドリアヌスが、「バル・コクバの乱」として知られるユダヤ人の反乱を鎮圧するためにエルサレムを破壊した後、考え出したのがこの言葉である。ハドリアヌスは、イスラエルの地でユダヤ人の反乱が絶えないことに嫌気がさし、イスラエルを「脱ユダヤ化」しようとした。エルサレムをアエリア・カピトリーナと改名し、イスラエルの地を古代カナン人のペリシテ人から取った名称である「パレスチナ(Palestine)」に改名したのである。そうして「パレスチナ」は聖書の地、イスラエルを指す一般的な用語となった。1

Let me start by providing a history of that word. It was a term invented by the Roman Emperor Hadrian in A.D. 135 after he had destroyed Jerusalem during a campaign to put down a Jewish uprising known as the Bar Kokhba revolt. Hadrian was tired of the constant revolts by the Jews in the land of Israel so he set out to “de-Judsaize” Israel. This he did by renaming Jerusalem Aelia Capitolina and he renamed the Land of Israel Palestine from the word Philistine, a reference to the ancient Canaanites. Palestine became the common term that many used to refer to the biblical land of Israel.

アイスが言うように、「パレスチナ」はローマ皇帝ハドリアヌス(紀元76年~138年)が付けた地名です。そして「パレスチナ人(Palestinian)」は、本来は「パレスチナ(Palestine)地方に住む人」という意味の言葉です。そのため、パレスチナ地方に住む人々はすべて、ユダヤ人やキリスト教徒もみな「パレスチナ人」と呼ばれていました。特に、イギリス委任統治時代には、パレスチナ人という言葉はパレスチナに住むユダヤ人社会を表す言葉としてよく使われていました。2

さらには、ヨーロッパに住むユダヤ人も、「パレスチナから来た人々」という意味で「パレスチナ人」と呼ばれることがありました。たとえば、哲学者のイマニュエル・カントはユダヤ人のことを「パレスチナ人」と呼んでいます3

しかし、現在では同地域に住むユダヤ人は自分のことをパレスチナ人とは呼びません。イスラエル人と呼びます。それでは、現在「パレスチナ人」と呼ばれる人々はどういう民族なのでしょうか。

パレスチナ人はパレスチナ出身のアラブ人

現在、「パレスチナ人」とは、パレスチナ出身のアラブ人を指す言葉となっています。そのため、現在「パレスチナ人」と呼ばれている人々の民族は、基本的にアラブ人です。パレスチナ人を代表する組織であるパレスチナ解放機構(PLO)も、1968年に採択したPLO憲章でパレスチナ人を次のように定義しています。

第5条:パレスチナ人とは、1947年までパレスチナに居住していたアラブ人をいう。これはパレスチナから追い出されたか、現在も留まっているかによらない。1947年以降にパレスチナ人の父から生まれた者は、パレスチナの域内にいるか域外にいるかを問わず、パレスチナ人である。4

Article 5: The Palestinians are those Arab nationals who, until 1947, normally resided in Palestine regardless of whether they were evicted from it or have stayed there. Anyone born, after that date, of a Palestinian father – whether inside Palestine or outside it – is also a Palestinian.

PLOは、パレスチナ人をアラブ人と明確に定義しています。また、パレスチナ人の父から生まれた子もパレスチナ人ですので、このアイデンティティは今どこに住んでいても受け継がれることになります(この定義がパレスチナ問題を複雑にしているのですが、この点は別の記事で解説します)。

PLOの定義でもう一つ興味深いのは、古くからパレスチナの地に住むユダヤ人も「パレスチナ人」と認めていることです。

第6条:シオニストの侵略が始まるまでにすでにパレスチナに居住していたユダヤ人は、パレスチナ人とみなされる。4

Article 6: The Jews who had normally resided in Palestine until the beginning of the Zionist invasion will be considered Palestinians.

これは、パレスチナ人が民族ではなく地域的なアイデンティティを表す言葉であることの証拠です。また、パレスチナの地にイスラエルを建国するというシオニズムに立つユダヤ人は排除していることから、パレスチナ人というアイデンティティは、シオニズムに対抗して生まれてきたものであることが見て取れます。実際に、パレスチナ人というアイデンティティは、イスラエル建国後に広まったものです。

このように「パレスチナ」という言葉がアラブ人と結びつけて考えられるようになったのはイスラエル建国後のことです。それまでは、先述のとおり、パレスチナに住むユダヤ人もパレスチナ人と呼ばれています。その証拠に、パレスチナに住むユダヤ人は、1932年に創刊した新聞を『パレスチナ・ポスト(Palestine Post)』5(現在の『エルサレム・ポスト(Jerusalem Post)』)と名付けています。

イスラエルの建国を報道するユダヤ系の新聞『パレスチナ・ポスト』
イスラエルの建国を一面で報道するユダヤ系の新聞『パレスチナ・ポスト』。パレスチナ人は民族名ではなく単なる地名であり、当時、パレスチナの地に住むユダヤ人もパレスチナ人と呼ばれていた

パレスチナ人はペリシテ人ではない

パレスチナという地名が古代カナン人のペリシテ人から取られたことを根拠に、パレスチナ人はペリシテ人の末裔であり、ユダヤ人以前にパレスチナに住んでいた先住民族だと主張されることがあります。この主張は史実に基づくものではありません。ペリシテ人と現在のパレスチナ人は違う民族です。ペリシテ人は、紀元前332年にアレクサンドロス大王に征服されて滅亡し、歴史上から姿を消しています6

先述のとおり、現在のパレスチナ人は基本的にアラブ人です。アラブ人がパレスチナに住むようになったのは、イスラム教徒がパレスチナの地を征服した紀元7世紀以降のことです。一方、ユダヤ人は紀元前12世紀以前から同地域に住んでいることが考古学的に証明されています。「パレスチナ人はペリシテ人の末裔で先住民族だ」という理由でパレスチナの地の所有権を主張するなら、パレスチナ人の側が逆に不利な状況に追い込まれるブーメランとして返ってきます。

MEMO
現在のパレスチナ人は自分たちはアラブ人だと主張しますが、実際にはパレスチナの地にいた雑多な民族が「アラブ化」されたという側面もあります。アラブ化とは、アラブ人以外の民族がアラビア語やアラブ文化を取り入れてアラブ人と同化することです。そのため、アラブ化した人々の中に少数のペリシテ人の末裔がいた可能性はあります。ただ、それでパレスチナ人はペリシテ人だと主張するのは暴論というものです。

2.パレスチナ人の国は歴史上存在したことがない

ユダヤ人がパレスチナ人の土地を奪ってイスラエルを建国したと言われますが、パレスチナ人の国が存在したことはありません。イスラエル建国前のパレスチナは英国委任統治領ですし、その前はオスマン帝国(トルコ)の領土でした。ユダヤ人国家のイスラエルが滅亡した後、現在パレスチナとよばれる地域は、ローマ、エジプトやトルコのイスラム王朝、英国といった大国の領土の一部となっていました。古代イスラエルが滅びて以降、パレスチナの地に独立国家が誕生したのは十字軍のエルサレム王国ぐらいですが、エルサレム王国もヨーロッパの王侯貴族が建てた国で、パレスチナの土着民族が建てた国ではありません7

MEMO
ユダヤ人の入植者は、地主から土地を購入して開拓地を広げてきました。基本的には、トルコなどに住む不在地主から、ユダヤ民族基金やロスチャイルド家などの資金援助を受けて土地を購入しています。そのため、土地を奪ったという表現は不適切です。

3.パレスチナはユダヤ人が入植するに伴って発展してきた

近代のパレスチナは、ユダヤ人が入植するに伴って発展してきたという歴史があります。ユダヤ人が入植する前のパレスチナは、人口の少ない荒廃した土地でした。このことは、『トム・ソーヤーの冒険』の作者で知られるマーク・トウェインが証言しています。マーク・トウェインは、1869年(ユダヤ人のパレスチナへの移民が本格化する1880年代より前)に出版された著書で、次のように書き記しています。

 (エズレルの)谷には、動くものは何もない。気の滅入る風景だけである。ちゃんとした村はどこを見ても一つもない――三十マイル四方、どちらを向いても存在しない。ベドウィンの小さなテントが、二、三あるだけ、耐久家屋は一軒も見当たらない。人影もまれで、あちこち十マイルほど馬を乗り回しても、十人足らずの人間に会うのが関の山だろう……わびしい気分に浸りたいのなら……ガリラヤ地方へ行けばよい……住民は絶え、荒野と化した地。どこまでも続く赤茶けた不毛の大地……カペナウムのもの悲しい廃墟、うらぶれたティベリアの村、墓石の如くに立つ六本の棕櫚椰子のもとに眠る村……我々は無事タボール山に着いた……途中ひとりの人間にも出会わなかった。
 ナザレは、見捨てられたようなみじめな所……呪われた町エリコは、廃墟の中に眠る。……
 ベツサイダとコラジンは地上から消えうせ、周辺は砂漠になっている。……
 パレスチナは、喪服をまとった亡骸になった……醜い、うらぶれた姿に変わり果てている……。8

また、マーク・トウェインだけでなく、同じ時代にエルサレムに駐在していた英国の領事も次のように報告しています。

駐エルサレム英領事の本省宛一八五七年九月十五日付報告は、「この地はかなりの人口希薄状態にあり、したがって最大課題はまとまった人口の確保である」と指摘し、アラブ人は出てゆき戻らぬ傾向にあるが、ユダヤ人口はもっと安定しているとし、「ユダヤ人でアメリカ、オーストラリアに旅行した者がいるが、旅行先にそのまま残ることはなく、必ず戻ってくる」と述べている。四年後「人口は今や激減しつつある」と報じられ、さらに四年後「地域によっては土地が耕作されなくなり、村が消滅しつつある……定住人口が減少している」とするパレスチナ視察記が出された。9

以上のような記録を読むと、ユダヤ人が入植する前のパレスチナは荒れ果てた不毛の地であったこと、また少数でもパレスチナに定住していたユダヤ人がいたことがわかります。

このような不毛の土地にユダヤ人が移民してきたのは、迫害と経済的な困窮のためでした。1880年代に始まる第一次アリヤー(ユダヤ人のイスラエルの地への帰還)は、ロシアや東欧でポグロム(ユダヤ人の虐殺)が多発したことによるものです。1900年代に起こる第二次アリヤーも、ポグロムと経済的困窮を逃れようとしたロシア系ユダヤ人によるものでした。この時代に、ユダヤ人はパレスチナの地にヨーロッパ式の技術やインフラを導入し、独自の言語(ヘブライ語)と文化を持ったユダヤ人社会を築いていきました。

歴史学者エルンスト・フランケンシュタインは、この時代について次のように書き記しています。

ユダヤ人開拓村の建設が進むと、ユダヤ人地域に住むムスリムの数が劇的に増えた。新しい開発地域や耕作地域に、就業機会を求めただけではない。ユダヤ人社会の保健衛生状態がよかったからである。おかげで乳幼児の死亡率は低下し、成人の平均寿命が長くなった。1937年の英委任統治報告は、「(アラブ・フェラヒン ― 農民の)人口増加は、マラリヤ撲滅、乳幼児死亡率の低下、上水道の導入の改善および公衆衛生の普及など、主として衛生保健の向上による」としている。10

ユダヤ人移民は、マラリヤが蔓延する湿地帯や荒れ果てた土地を購入し、開拓していきました。荒廃した地を開墾して作物の育つ土地にし、活気ある社会を築いていったのです。パレスチナの地は、ユダヤ人が移住してくることで豊かになっていきました。それを「ユダヤ人が奪った」と言うのは乱暴すぎる議論です。

4.国連パレスチナ分割案は人口比に従って作成された

現在のイスラエルが建国される根拠となった国連パレスチナ分割案(1947年)は、ユダヤ人とアラブ人の人口比に従って作成されました。これは日本ではあまり知られていない事実かも知れません。

国連パレスチナ分割案は、パレスチナにユダヤ人とアラブ人の2つの国家を樹立するというものですが、ユダヤ人国家にはユダヤ人が多数派の地域、アラブ人国家にはアラブ人が多数派の地域が割り当てられています(下図のオレンジ部分がユダヤ人国家、黄色がアラブ人国家)。

図1:国連パレスチナ分割案(1947年)地図
図1:国連パレスチナ分割案(1947年)地図

国連の公式な数字では、ユダヤ人国家に割り当てられた地域は、1946年末の時点でユダヤ人約49万8千人、アラブ人40万7千人という人口比で、さらに1947年7月にはユダヤ人人口が62万5千人にまで増えています11。ユダヤ人国家の主な構成は、ユダヤ人の入植者が開墾した沿岸部、南部のネゲブ砂漠、そして古くからのユダヤ人共同体があるガリラヤ湖周辺でした。

MEMO
ガリラヤ湖畔の都市ティベリアは、紀元70年にローマ軍にエルサレムが破壊されて以降、ユダヤ人の中心的都市となっていました。この町には、ユダヤ人が世界に離散して以降も、途切れることなくユダヤ人共同体が存在していました。このように、パレスチナの地には少数かもしれませんがユダヤ人が住み続けていました。また、紀元7世紀以降は、エルサレムやヨルダン川西岸地区のヘブロンなどにも再びユダヤ人が住むようになっています。

このように、国連パレスチナ分割案はユダヤ人とアラブ人の人口分布に従って作成されたもので、両者に公平な解決を目指したものでした。

MEMO
「公平な解決」とは、当時の人口比を考えると、という意味です。後述のように、パレスチナはユダヤ人の祖国とするために英国が統治していたはずであるのに、ユダヤ人の移民は著しく制限されていました。一方、アラブ人の非合法移民は取り締まられることが少なく、都市やユダヤ人が開拓した土地に大量のアラブ人が流入していました。米国のフランクリン・ルーズベルト大統領が、1939年5月17日付の国務長官宛て覚書で次のように指摘している通りです。

1921年以降パレスチナへ流入したアラブ人移民の数は、ユダヤ人の移民総数をはるかに超えている(「アメリカの対外関係」1939年、巻四)12

もしユダヤ人が自由に移民を許されていれば、分割案の内容は違っていたものになっていたはずです。また何よりも、何十万人ものユダヤ人が、ナチスによるホロコーストの虐殺から逃れることもできたことでしょう。

5.イスラエルは国際法に従って建国された

イスラエルは、国際法に従って建国されました。イスラエルを再建する上で最初に法的な根拠となる文書は、1917年に英国政府がユダヤ人社会に向けて発表したバルフォア宣言です。

バルフォア宣言(1917年)

英国政府は、第一次世界大戦中の1917年11月に、外務大臣のアーサー・バルフォアからユダヤ系貴族院議員のウォルター・ロスチャイルド卿宛てに次のような宣言を書面で送ります。

「英国政府は、ユダヤ人がパレスチナの地にナショナルホーム(national home)を樹立することにつき好意をもって見ることとし、この目的達成のために最大限の努力を払うものとする。ただし、これは、パレスチナに住むユダヤ人以外の人々の市民権、宗教的権利、並びに他の諸国に住むユダヤ人が享受している諸権利と政治的地位を害するものではないことを明確な了解事項とする」13

“His Majesty’s Government view with favour the establishment in Palestine of a national home for the Jewish people, and will use their best endeavours to facilitate the achievement of this object, it being clearly understood that nothing shall be done which may prejudice the civil and religious rights of existing non-Jewish communities in Palestine, or the rights and political status enjoyed by Jews in any other country”.

これがパレスチナにユダヤ人国家を建設するための第一歩となったバルフォア宣言です。この「ナショナルホームを樹立する」という言葉の解釈について、これは「ユダヤ人国家を樹立する」ことではなく「ユダヤ人居住地として認める」という意味だと主張されることがあります。その場合は、ユダヤ人がただそこに住むというだけで、国家の建設を約束したものではないということになります。ただ、この解釈は、バルフォア宣言当時に閣僚を務めていたウィンストン・チャーチルの次の言葉を読むと成り立たないことがわかります。

ユダヤ人は、この二、三世紀のうちに、パレスチナに社会を再建した。その人口八万のうち約四分の一は、大地を耕す労働者や農夫である。この社会は独自の政治組織を有する。即ち、選挙で選ばれた議会があり、内政問題を扱っている。町にも選出評議会がある。学校教育にはその管理組織がある。主席ラビと評議会も選挙で選ばれ、宗教問題を扱っている。商取引では、ヘブライ語が母国語として使われ、ヘブライ語の新聞や雑誌、書籍もある。ユダヤ人社会には独自の知的活動があり、経済活動も相当なものである。独自の言語、風俗、習慣があり、独自の暦で彩られた生活がある。つまり、事実上の国家の性格を持っているのである。
…この社会が、自由な発展の見込みを有し、ユダヤ民族がその能力を充分に発揮できる機会を持つためには、容認ではなく権利としてパレスチナに存在するとの認識が必要である。……これが、一九一七年宣言について、大英帝国政府の下した解釈であり、そのように理解された。14

すでにパレスチナに住み、将来国家となる組織を整備していたユダヤ人社会に対し、パレスチナにナショナルホームを築くとはパレスチナに住めるという意味だと解釈するのは不可能です。バルフォア宣言は「パレスチナ全体の住民にユダヤの国家を押しつけることではない」ともチャーチルは語っていますが、この言葉を裏返すと、パレスチナの一部はユダヤ人国家とするという意思があることが読み取れます。

ただ、バルフォア宣言は英国政府とユダヤ人社会との取り決めです。そのため、この時点ではパレスチナはまだオスマン帝国の領土ですので、国際法としての効力は持っていません。

サンレモ決議(1920年)

バルフォア宣言が国際法上の権威を持つようになったのは、1920年4月に開催されたサンレモ会議の時です。第一次世界大戦に勝利した連合国の主要国、英国、フランス、イタリア、日本は、イタリアのサンレモで会議を開いて、敗戦国のオスマン帝国の分割について話し合いました。この会議では、英国がパレスチナの地を委任統治することが決定され、同時にバルフォア宣言も承認されます。この時点で、バルフォア宣言は国際法的に有効なものとなりました。サンレモ決議では次のように宣言されています。

締結国は……パレスチナの統治を、主要連合国が決定する境界線内において、同連合国が選定する委任統治国(訳注:英国)に委託することに同意する。委任統治国は、1917年11月8日(2日)に英国政府によって発布され、他の連合国によって採択された、パレスチナにユダヤ人のためのナショナルホームを建設することを支持する宣言(訳注:バルフォア宣言)を実行に移す責任を負うものとする…

The high contracting parties agree to entrust … the administration of Palestine, within such boundaries as may be determined by the Principal Allied Powers, to a mandatory, to be selected by the said Powers. The mandatory will be responsible for putting into effect the declaration originally made on the 8th [2nd] November, 1917, by the British Government, and adopted by the other Allied Powers, in favour of the establishment in Palestine of a national home for the Jewish people…15

MEMO
サンレモの決議には日本も参加していますので、イスラエルの建国に日本が一役買っていることになります。日本は、ユダヤ人国家の建国にお墨付きを与えた当事者と言うこともできます。

国連パレスチナ委任統治決議(1922年)

そして1922年7月には、国際連盟の場でパレスチナの委任統治権が英国に与えられることが正式に決議されました。つまり、将来にユダヤ人国家をパレスチナに建設するという条件で、パレスチナの統治を開始したということです。また、1922年のパレスチナ委任統治決議では、なぜユダヤ人のナショナルホームをパレスチナに建国するのかという疑問についても次のように答えています。

ユダヤ人とパレスチナの歴史的なつながりが認識され、パレスチナにナショナルホームを再建する根拠が与えられた。

Whereas recognition has thereby been given to the historical connection of the Jewish people with Palestine and to the grounds for reconstituting their national home in that country; 16

国連パレスチナ分割決議(1947年)

第二次世界大戦後の1947年2月18日に、英国はパレスチナの委任統治の終了を望んでいること、パレスチナ問題を国連の場で提起することを発表します。これを受けて作成され、1947年11月29日に国連総会で決議されたのが、国連パレスチナ分割案です。この決議をユダヤ人側は受け入れ、アラブ人側は拒否しました。そして、英国のパレスチナ委任統治が終了する1948年5月14日に、ユダヤ人側はイスラエルの独立を宣言します。これを受けて米国などが同日に国家承認を行い、翌日5月15日にイスラエルが正式に建国されました。イスラエルは、英国の委任統治領だった土地に、国連の決議に基づいて建国されました。この決議には、委任統治の当事国として英国も賛成しています。このプロセスは国際法に従ったものでした。

これに対し、アラブ人側はイスラエルに対して宣戦布告をし、イスラエル独立戦争(第一次中東戦争)が起こります。この戦争にイスラエルは勝利し、ユダヤ人は実質的にもイスラエルの建国を確かなものとします。

図2:独立戦争後のイスラエルの領土(1949年)
図2:独立戦争後のイスラエルの領土(1949年)

この時、イスラエルは当初の分割案よりも広い土地を領土とすることになります(図2)。これもイスラエルがパレスチナ人の領土を奪ったことにはなりません。アラブ人側は国連の分割案を拒否していますので、アラブ人国家の割り当て地に権利は発生していません。そのため、アラブ人国家を予定していた割り当て地は、英国の統治が終わった時点で無主地(所有国がない土地)となっています。そのため、イスラエルがアラブ軍を押し返して取得した土地も、国際法違反とは言えません。むしろ、国際法的に権利を与えられていないのにイスラエルに宣戦布告をし、ガザ地区を占領したエジプト、ヨルダン川西岸地区を占領したヨルダンの側に国際法違反があります。その後、エジプトもヨルダンも、占領した土地にパレスチナ人国家を建設しようと思えばできたはずですが、そうしませんでした。このことから、「パレスチナの大義」とは、パレスチナ人国家を建設をすることではなく、イスラエルをパレスチナの地から消し去ることにあることが垣間見えます。

まとめ

以上で、「イスラエルはパレスチナ人から土地を奪って建国された」という主張は的外れであること、少なくともそのような主張は単純すぎることがおわかりいただけたのではないかと思います。パレスチナの地をめぐるユダヤ人とアラブ人の対立についてはよく論争が起こりますが、少なくとも以上のような事実を理解しておかないと、不毛な議論にしかなりません。特に日本では1973年の石油ショック以降、アラブ諸国に忖度をした主張が広く流布していますので、公平な理解のために重要な情報であると思います。

参考資料

  • アラン・ダーショウイッツ著(滝川義人訳)『ケース・フォー・イスラエル 中東紛争の誤解と真実』(ミルトス、2010年)
  • ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(上)』(サイマル出版会、1988年)
  • ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(下)』(サイマル出版会、1988年)
  • ウリ・ナーラン(滝川義人訳)『イスラエル現代史』(明石書店、2004年)
  1. Thomas D. Ice, “Myths About Israel And Palestine” (https://digitalcommons.liberty.edu/pretrib_arch/67/)

  2. “History of the Palestinians,” Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Palestinians)

  3. Immanuel Kant, Anthropology from a Pragmatic Point of View, Translated by Mary J. Gregor (The Hague: Martinus Nijhoff, 1974), cited in Chad Alan Goldberg, Politicide Revisited (University of Wisconsin-Madison)

  4. “The Palestinian National Charter: Resolutions of the Palestine National Council July 1-17, 1968,” Yale Law School Lillan Goldman Law Library (https://avalon.law.yale.edu/20th_century/plocov.asp) 2

  5. Michael Omer-man, “This Week in History: ‘The Palestine Post’ is established,” The Jerusalem Post, 3 Dec 2010 (https://www.jpost.com/Features/In-Thespotlight/This-Week-in-History-The-Palestine-Post-is-established)

  6. コトバンク「ペリシテ人」(https://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%86%E4%BA%BA-130314)

  7. ユダヤ人のハスモン朝以降にパレスチナ(イスラエル)の地を支配した国々:ローマ帝国 → ウマイヤ朝 → アッバース朝 → ファーティマ朝 → セルジューク朝 → エルサレム王国 → キプロス王国 → マムルーク朝 → オスマン帝国 → 英国。いずれもパレスチナの土着民族の国ではない。

  8. アラン・ダーショウイッツ著(滝川義人訳)『ケース・フォー・イスラエル 中東紛争の誤解と真実』(ミルトス、2010年)p.36。原著:Mark Twain, The Innocent Abroad (New York: Oxford University Press, 1996), pp.485, 508, 520, 607-608

  9. 同書p.40

  10. 同書p.42

  11. “United Nations Special Committee on Palestine, Report to the General Assembly Volume I,” United Nations, p.54 (https://documents-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/GEN/NL4/716/71/PDF/NL471671.pdf?OpenElement)

  12. ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(下)』(サイマル出版会、1988年)p.195

  13. Wikipedia「バルフォア宣言

  14. アラン・ダーショウイッツ著(滝川義人訳)『ケース・フォー・イスラエル 中東紛争の誤解と真実』(ミルトス、2010年)p.50

  15. “APPENDIX XIV MINUTES OF PALESTINE MEETING OF THE SUPREME COUNCIL OF THE ALLIED POWERS HELD IN SAN REMO AT THE VILLA DEVACHAN – APRIL 24, 1920,” Office For Israeli Constitutional Law (https://web.archive.org/web/20190913022430/http://www.israellegalfoundation.com/sanremo2.html)

  16. “The Palestine Mandate” (https://avalon.law.yale.edu/20th_century/palmanda.asp)

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世界史の流れを知り、今後の国際情勢を読み解くための聖書的原則「アブラハム契約の祝福とのろい」の約束とは(1) - 聖書ニュース.com

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