> 携挙とは携挙とは
携挙とは、教会が天に上げられることです。この場合、教会とは建物ではなく、信者の集合体を指します。教会は使徒の働き2章で誕生しました。この時以降に信者になった人々は、携挙の時が来ると全員天に上げられます。死んだ人は復活し、生きている人はそのまま天に上げられ、空中でキリストに会うことになります。
携挙を教えている聖句には、ヨハネ14:1~3、1テサロニケ4:13~18、1コリント15:50~58などがあります。以下にここで挙げた3つの聖句を見ていきます。
> ヨハネ14:1~3ヨハネ14:1~3
ヨハネ14:1~3は、携挙の描写というよりも、携挙の約束です。ここでイエスは、弟子たちに次のように語っています。
1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。 3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです」
ここでイエスは、「父の家(天)」(2節)に信者たちの住む場所を用意したら、迎えに来ると約束しています。この時、イエスは天から下って来ることになります。そして、信者たちをご自分のもとに迎える、つまり信者を天に迎え入れると語っています。そのため、この聖句は、キリストが地上に降り立つ再臨(地上再臨)のことを語っているのではなく、信者が天に上げられる携挙(空中再臨)を語っていることがわかります。
> 1テサロニケ4:13~181テサロニケ4:13~18
使徒パウロは、1テサロニケ4:13~18で、携挙の時に起こることを詳しく説明しています。パウロは、死んでしまった信者たち(13節「眠っている人たち」)はどうなるのかというテサロニケ教会の人々の質問に対し、次のように語っています。
13 眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。
14 イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。
15 私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。
16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、 17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
18 ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。
ここでパウロは「空中で主と会う」(17節)と語っています。つまり、ここで言われているのも、再臨(地上再臨)ではなく、携挙(空中再臨)です。この携挙で、死んでしまった信者がまずよみがえり、次に生きている信者が引き上げられて、空中で主と会います。そのため、死んだ信者のことは心配しなくてもいいとパウロは答えているのです。
ここでは、携挙で起こることが順番に次のように語られています。
- 主イエスご自身が天から下ってくる
- 主が号令をかける
- 御使いのかしら(天使長ミカエル)が号令を伝令する
- 神のラッパが響き渡る
- キリストにあって死んだ者がよみがえる
- 生きている信者が、死んでいた者と一緒に雲に包まれて引き上げられる
- 空中で主と会い、いつまでも主とともにいる
この時に、信者はヨハネ14:1~3で約束されていた場所に行くことになります。
> 1コリント15:50~551コリント15:50~55
次の1コリント15:50~55も、携挙について語っている聖句です。
50 兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。
52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
53 この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。
54 そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に呑み込まれた。」
55 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」
ここでは、携挙された信者がどのように変化するかが説明されています。この変化が必要なのは、血肉の体では神の国を相続できず、朽ちない体を持つ必要があるためです(50節)。この変化は、「たちまち、一瞬のうちに」起こります(52節)。
先ほどの1テサロニケ4:13~18でも「ラッパ」の言及がありましたが、1コリント15:52でも「ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられる」と言われています。このラッパはイスラエルの「ラッパの祭り」のラッパであり、厳密に言うと、この時に鳴らされる「角笛」のことを指しています。このラッパの祭りは、携挙を予表する「型」です(中川健一「続・福音の奥義に生きる(5)― イスラエルの祭りとメシアの働き(秋の祭り)」を参照)。このラッパの響きが、携挙が起こるための引き金となります。
また、この箇所では、前後の文脈も合わせて、携挙で受けることになる体について詳しく語られています。この体は次のように表現されています(1コリント15章)。
- 朽ちない体(42節)
- 栄光ある体(43節)
- 力ある体 (43節)
- 御霊に属する体(44~46節)
- 天に属する体(47~49節)
- 死なない体(53節)
以上のような性質を持った体が、携挙の時に信者に与えられます。この体を受けた者は「死なない」ので、永遠のいのちを生きることになります。この点について、ユダヤ人神学者のアーノルド・フルクテンバウム博士は次のように語っています。
人間は死の宣告を受けながら生きている。この地では、人間の肉体は朽ちていき、やがて死ぬ。罪の性質が体の内にあり、罪の結果が肉体の死として表れる。このような罪と死、腐敗に支配されている体では、永遠の状態に入ることができない。人が神の国に入るには、体が変えられること、または復活の体が必要なのである。
― Arnold G. Fruchtenbaum, The Footsteps of Messiah: Revised 2020 Edition (Ariel Ministries, 2020)
Mankind is living under the sentence of death, where his physical body is subject to corruption and mortality. The sin nature is in it, and the results of sin are evident in the death of the body. This kind of body, subject to sin, mortality, death, and corruption, cannot enter into the eternal state. A change will be necessary (resurrection or translation) before the bodies can enter the kingdom of God.
この体を受けることで、人間は死に対する最終的な勝利を得るのです。
> 携挙のタイミング携挙のタイミング
携挙が起こるタイミングについては、主に3つの説があります。
- 患難期前携挙説(Pre-Tribulationism)
- 患難期中携挙説(Mid-Tribulationism)
- 患難期後携挙説(Post-Tribulationism)
上記3つの説は、キリストが再臨する直前の7年間である患難期(大患難時代)を基準に、携挙が患難期の前に来ると主張するのが患難期前携挙説、後に来ると主張するのが患難期後携挙説、患難期の中間期に来ると主張するのが患難期中携挙説です。
出典:Laomark氏の作品をアレンジして日本語化(ライセンス:CC BY-SA 3.0)
このサイトでは、さまざまな聖書的根拠から「患難期前携挙説」を採用しています。その根拠の一つが1テサロニケ1:10で、次のように言われています。
10 御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。
「やがて来る御怒り」とは大患難時代を指します。この時代には、未曾有の苦難が地上に住む人々を襲いますが、イエスはそこから信者を救い出してくださると約束してくださっています。つまり、大患難時代が来る前に、信者が携挙によって上げられていると考えることができます。
> 携挙をテーマにした本や映画携挙をテーマにした本や映画
携挙は、小説や映画で取り上げられるテーマになっています。
携挙が起きた世界と、その後の世界を描いた小説に、ティム・ラヘイ著『レフトビハインド(Left Behind)』シリーズがあります。邦訳がいのちのことば社から全9巻で出版されましたが、現在は絶版となっているようです。
この小説を映画化したのが、ニコラス・ケイジ主演の「レフト・ビハインド」です。この作品は「パニックアクション映画」というカテゴリに分類されていますが、携挙に関する聖書の教えもストーリーの中で説明されています。また、カーク・キャメロン主演の「人間消失」も同じく小説『レフトビハインド』を映画化したものです。いずれも、携挙の前後が映画の舞台となっています。
YouTubeで無料で視聴できる映画では「Final the Rapture」があります。世界各国を舞台にして携挙を描いています。映画の中では携挙後の東京も描かれ、重要な物語が展開する舞台となっています。
いずれも携挙を具体的にイメージする上で役立つと思います。
> 携挙に関する注意携挙に関する注意
携挙は、大患難時代の前に来るということがわかっていても、具体的にいつ来るかまではわかりません。イエスが次のように語っておられるからです(マタイ24:42)。
42 ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。
過去に、牧師や異端の教師が、「携挙はこの日に来る!」と主張して、実現しなかったことが何度もあります。そのため、携挙の教えそのものが疑いの目で見られることがあります。しかしイエスは、そもそも携挙が具体的にいつ来るかはあなた方にはわからないと言っておられるのです。そのため、具体的な年や日付を言って携挙が来るという人には警戒する必要があります。
> 参考資料参考資料
- 中川健一「Q.250 携挙とは何ですか」聖書入門.com (https://seishonyumon.com/movie/6442/)
- Arnold G. Fruchtenbaum, The Footsteps of Messiah: Revised 2020 Edition (Ariel Ministries, 2020)
- Andy Woods, “10 Truths about the Rapture” (https://www.youtube.com/watch?v=pzGeoO84uv0&t=1431s)
[…] ただ、聖書の預言によると、グローバリズムとナショナリズムの戦いは最終的にグローバリズムが勝利することになる。そうなると、非常に過酷な時代が到来する。しかし、聖書には脱出の道も記されている。この道については、「終末預言を読み解く:携挙とは」や、クリスチャンコモンズのサイトをご覧いただきたい。 […]
[…] また、この状況を携挙と考えて、救われていても、携挙にあずかる信者と、携挙から漏れる信者がいるという「部分的携挙説(Partial Rapture)」を説く人もいます。 […]
[…] アポスタシアの「離れる」という意味は、物理的な意味でも、霊的な意味でも使えます。欽定訳聖書(KJV)では、どちらの意味にも解釈できるように、アポスタシアを「falling away(離れる、落ちる)」と訳しています。「背教」という訳語は霊的な意味で解釈した場合のもので、「正しい教えから離れる」という意味です。物理的な意味で解釈すると、クリスチャンが物理的に離れるという意味ですから、信者が地上から上げられる「携挙」と解釈することができます。 […]
[…] 終末預言では、災害や戦争など、喜ばしくない状況が数多く預言されています。しかし、聖書預言が成就するということは、神がすべてを支配しておられる中で、物事が進んでいるということです。神に想定外はありません。ここに希望があります。さらに、福音を信じることで神の子どもとされ、永遠のいのちをいただけること、携挙に与ることができること、また終末時代の後にはキリストの御国が地上に設立される(メシア的王国/千年王国)という希望が与えられています。 […]
[…] MEMO 「アポスタシア」という言葉の解釈について、詳しくは記事「終末時代に生きるクリスチャンの役割(2)地の塩となる」のセクション「2テサロニケ2:3の『背教』の解釈」をご覧ください。 携挙については、記事「終末預言を読み解く:携挙とは」をご覧ください。 […]