パレスチナ難民の問題は、イスラエル・パレスチナ紛争の焦点の一つです。パレスチナ紛争の解決は、難民問題の解決にかかっていると言っても過言ではありません。しかし、パレスチナ難民は発生から70年以上経ってもいまだに解決していません。なぜでしょうか。
最も大きな原因は、「パレスチナ難民の問題は解決できないような仕組みになっている」ことです。もう少し正確に言うと、「パレスチナ難民の問題は、イスラエルが消滅することで初めて解決する仕組みになっている」ということです。この点を理解するには、パレスチナ難民を解決する上で以下の4つの問題があることを確認する必要があります。
- 難民の算定上の問題
- 国連の問題
- アラブ諸国の問題
- 「帰還権」の問題
最後に、パレスチナテロ組織がパレスチナ難民の問題解決を難しくしていることについても触れます。
> 1. 難民の算定上の問題1. 難民の算定上の問題
パレスチナ難民の問題を解決することを妨げている理由の一つは、パレスチナ難民の数が現実的な数をはるかに上回るように算定されていることです。
パレスチナ難民を支援する「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)」は、現在のパレスチナ難民の数を590万人と算定しています1。この数を見ただけでも、並大抵のことでは解決できないことがわかると思います。ただ、この数字は現実を反映していません。
これはパレスチナ難民の定義から来る問題です。パレスチナ難民は、通常の難民の定義とは違う定義となっているためです。
通常の難民の定義
難民の救出を行う国連機関「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)」は、難民を次のように定義しています。
難民はどのように定義されますか?
1951年の難民条約第1条では、難民を「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受けるという十分な根拠のある恐れのために、国籍国の外におり、そのような恐れのために国籍国の保護を受けることができないか、受ける意思がない者、あるいは国籍国でなくても定住国の外におり、(そのような恐れのために)定住国に戻ることができないか、戻る意思がない者」と定義している。
What is the definition of a refugee?
Article 1 of the 1951 Convention defines a refugee as someone who “owing to well-founded fear of being persecuted for reasons of race, religion, nationality, membership of a particular social group or political opinion, is outside the country of [their] nationality and is unable or, owing to such fear, is unwilling to avail [themself] of the protection of that country; or who, not having a nationality and being outside the country of [their] former habitual residence, is unable or, owing to such fear, is unwilling to return to it.” 2
少し読みにくい文ですが、この定義を念頭に置いて、パレスチナ難民の定義を見てみましょう。
パレスチナ難民の定義
一方、パレスチナ難民を支援する「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)」は、パレスチナ難民を次のように定義しています。
パレスチナ難民は「1946年6月1日から1948年5月15日までの期間中、通常の居住地がパレスチナであり、1948年の紛争の結果、住居と生活手段の両方を失った人」と定義される。
Palestine refugees are defined as “persons whose normal place of residence was Palestine during the period 1 June 1946 to 15 May 1948, and who lost both home and means of livelihood as a result of the 1948 conflict.” 3
UNHCRの定義と比べるとかなりゆるやかな定義になっています。UNRWAのパレスチナ難民の定義でまず気付くのは、「国籍国」または「定住国」の条件がない、あるいは条件が非常にゆるやかなことです。
2年間で「定住国」
パレスチナ難民の定義では、「国籍国」または「定住国」の条件がゆるく、パレスチナに2年間(1946年6月1日から1948年5月15日まで)住んでいただけでパレスチナ難民と認められます。この定義を見ると、「パレスチナ難民はパレスチナという先祖代々暮らしてきた故郷を追われた人々」という話に疑問符が付きます。特に、ユダヤ人の本格的な帰還(アリヤ―)が始まる前(1893年)とイスラエル建国直前(1947年)のアラブ人人口を比較した次の表を見ると、その疑いはいっそう深まります。4
地域 | 1893年 | 1947年 | 増加率 |
---|---|---|---|
ユダヤ人開発主要地域 | 92,300 | 462,900 | 5倍 |
混合地域、中間地域 | 140,600 | 323,900 | 2.3倍 |
アラブ居住主要地域 | 233,500 | 517,000 | 2.2倍 |
パレスチナのアラブ人総人口 | 466,400 | 1,303,800 | 2.7倍 |
上記のユダヤ人開発地域(1949年にイスラエルに編入)では、アラブ人人口の増加が5倍と多くなっています。ほかの地域の増加率と比較しても自然増という理由では説明がつきません。周辺国から人口流入があったと考えるのが自然です。ハーバード大学の法学教授、アラン・ダーショウイッツは著書で次のように記しています。
国連は、難民の多くが出身村に長い間住んでいなかった事実を認め、難民の定義変更という特異な決定を行った。即ち、イスラエルを出たアラブ難民は、退去するまでイスラエルに二年以上住んでいたアラブ人という定義である。5
ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー作家でジャーナリストのジョーン・ピーターズは、『ユダヤ人は有史以来(From Time Memorial)』(サイマル出版)という著書で、1922~1948年の英国委任統治時代に周辺諸国からパレスチナにアラブ人が大量に流入していた事実を指摘しています。実際に、米国大統領のフランクリン・ルーズベルトは、1939年5月17日付の国務長官宛て覚書で「1921年以降パレスチナへ流入したアラブ人移民の数は、ユダヤ人の移民総数を遙かに超えている」(「アメリカの対外関係」1939年、巻四)6と記しています。
子々孫々受け継がれる
パレスチナ難民の定義でもう一つ特殊な点は、難民の地位が子々孫々受け継がれることです。UNRWAのパレスチナ難民の定義は次のように続きます。
UNRWAのサービスは、この定義を満たし、UNRWAに登録され、支援を必要とするUNRWAの活動地域に住むすべての人が利用できる。パレスチナ難民男性の子孫(養子を含む)にも登録資格がある。1950年に活動を開始した当時、UNRWAは約75万人のパレスチナ難民のニーズに応じていた。現在は、約590万人のパレスチナ難民がUNRWAのサービスを受けることができる。
UNRWA services are available to all those living in its area of operations who meet this definition, who are registered with the Agency and who need assistance. The descendants of Palestine refugee males, including adopted children, are also eligible for registration. When the Agency began operations in 1950, it was responding to the needs of about 750,000 Palestine refugees. Today, some 5.9 million Palestine refugees are eligible for UNRWA services.7
このようにパレスチナ難民の定義では、「パレスチナ難民男性の子孫(養子を含む)」も難民として認定されるので、パレスチナ難民の男系子孫は難民の地位を自動的に受け継ぐことになります。この定義のため、UNRWAの計算では発生当時75万人とされているパレスチナ難民が、今では590万人にまで膨れ上がっているのです。通常の難民の定義では起こらないことです。
定住国で市民権を取得してもパレスチナ難民はパレスチナ難民
上記のパレスチナ難民の定義では、難民の男系子孫は自動的に難民認定されますので、定住先の国で永住権を取得しても難民とカウントされます。実際に、現在230万人ほどいるヨルダン国内のパレスチナ難民は、約7割がヨルダンの市民権を取得していますが8、いまだに難民としてカウントされています。通常の難民であれば、難民の状態が解消されたと判断されるケースです。
パレスチナ自治区に定住していてもパレスチナ難民
パレスチナ自治区にも、ヨルダン川西岸地区に87万人9、ガザ地区に147万人10のパレスチナ難民がいます。パレスチナ域内の避難でもパレスチナ難民に認定されたためです。しかし、パレスチナ人の手で自治が行われている地域で、パレスチナ難民がいるというのは不思議なことです。これもパレスチナ難民の定義のなせるわざです。
難民キャンプで暮らすパレスチナ難民は3割ほど
難民と言っても、実際に難民キャンプで暮らすパレスチナ難民は150万人ほどで、登録されている難民の3割程度です11。
また、難民キャンプといっても、基本的にはテント村のようなものではありません。パレスチナ難民は70年以上も存在しているので、人口密度が高く、良い居住環境とは言えませんが、定住する住居が提供されています。たとえば、写真のハン・ユニス難民キャンプは、ガザ地区南部の都市ハン・ユニスの一角にあり、町と一体化しています。
実質的な難民はパレスチナ難民の一部のみ
このようにパレスチナ難民の定義を見ていくと、非常に特殊な定義であることがわかります。そのため、実質的な難民はパレスチナ難民の一部のみです。590万人という膨大な数のパレスチナ難民を前提にするので、現実的な解決案を示すことができなくなります。現実的な解決案を示すには、まずは実情にそって現実的な難民数を割り出す必要があります。
> 2. 国連の問題2. 国連の問題
パレスチナ難民の問題がいつまで経っても解決しないもう一つの理由は、国連がパレスチナ難民の問題の解決に役立っていないためです。むしろ、国連は問題を永続化させる方向で動いています。
UNRWAとUNHCRの違い
パレスチナ難民の定義も特殊ですが、パレスチナ難民のために設けられた国連機関「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)」の役割も特殊です。通常、難民の救助は「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)」が担当しますが、パレスチナ難民はUNRWAが担当しています。UNHCRとUNRWAでは役割が大きく違います。
UNHCRは、難民に永住地を世話することが仕事です。UNRWAは、パレスチナ難民の世話をすることが仕事です。UNHCRとは違い、UNRWAは難民を避難先で再定住させることはしません。このことに関してUNRWAが批判されることがあるようで、UNRWAのホームページには次のように説明されています。
なぜUNRWAはパレスチナ難民を再定住させることができないのですか?
UNHCRとは異なり、UNRWAにはパレスチナ難民を再定住させる権限はなく、難民のための永続的な解決を模索する権限もありません。UNRWAは、パレスチナ難民の窮状に対する公正かつ永続的な解決がもたらされるまでの間、5つの活動分野(訳注:教育、医療、経済支援など)でパレスチナ難民にサービスを提供することを任務として国連総会で設立されました。UNRWAが管轄する地域のパレスチナ難民は、難民の再定住を任務とするUNHCRの管轄の外にあります。
Why Can’t UNRWA Resettle Palestine Refugees?
Unlike UNHCR, UNRWA does not have a mandate to resettle Palestine refugees and has no authority to seek lasting durable solutions for refugees. UNRWA is mandated by the UN General Assembly to provide services to Palestine refugees in five fields of operations, pending a just and lasting solution to their plight. Palestine refugees within the Agency’s fields of operations are excluded from the mandate of UNHCR, which has a resettlement mandate.13
この文章から、UNRWAはパレスチナ難民の問題を解決するためではなく、問題が解決するまでの間、パレスチナ難民の生活を守ることだけを使命としていることがわかります。また、難民の再定住を支援するUNHCRが、なぜかパレスチナ難民に関しては担当を外されていることがわかります。
パレスチナ難民の問題を解決するために働く国連機関は存在しない
以上見たように、パレスチナ難民については、定住先で永住権を得るために支援する国連機関は存在しません。UNRWAはパレスチナ難民の問題が解決するまで、難民の世話をするためだけに存在している機関で、問題の解決をもたらすための組織ではありません。国連は、パレスチナ難民が難民状態を解消することには手を貸さず、生活の支援のみをすることで、難民問題の永続化に加担してしまっているという言い方もできると思います。このような国連の体制も、パレスチナ難民の解決が前に進まない一つの要因になっています。
> 3. アラブ諸国の問題3. アラブ諸国の問題
パレスチナ難民の問題が解決しないもう一つの理由は、アラブ諸国がパレスチナ難民の受け入れを拒否し続けているためです。同じアラブ人の国であるはずのアラブ諸国は、パレスチナ難民に市民権や永住権を与えることをかたくなに拒否してきました。
難民救済事業を行うUSCC(全米カトリック協議会)のジョン・マッカーシー神父は、パレスチナ難民の問題がなぜ解決しないのかという質問に対してこう答えています。
この問題は、大変複雑な政治構造になっていることを、知っておかねばなりません。私は、「この人たちを社会復帰させよう」と言いながら働いてきました。ところが、エジプトその他のアラブ諸政府は、「しばらく待ってくれ」とか「だめだ、われわれはやらない。難民は何が何でもイスラエルへ戻す。彼らの定着する所はそこしかない」といった答を返してくるのです。ぜひ知っておいていただきたいのだが、この難民はまさに人質なのです。……アラブ諸国は同胞たるアラブ人を受け入れたくはありません。同じアラブ人同士の差別です。14
アラブの二枚舌外交
アラブ世界には、「アラブは一つである」とし、アラブ民族の連帯をめざす「汎アラブ主義」という考え方があります。1919年のアラブ憲章で次のように定められている通りです。
アラブの地は一つにして不可分である。いかなる性格の分割も、アラブ民族は許さず承認もしない。15
1951年制定のアラブ・バース党綱領でも、次のようにうたわれています。
アラブは一つの民族を形成する。この民族は、単一の国家に生存し、その将来を随意に選択し……すべてのアラブ人を単一のアラブ独立国家に結集する、生得権を有する。16
このような汎アラブ主義を掲げる一方で、一部の例外を除き、アラブ諸国はパレスチナ難民の受け入れを拒否してきました。現在、パレスチナ難民のキャンプはシリア、レバノン、ヨルダンなどにありますが、難民キャンプに住んでいるということは、基本的には永住者としては受け入れられていないとことを意味します。また、難民キャンプができるほどのパレスチナ難民を国内に受け入れていないアラブ諸国が大半です。
第一次中東戦争は、レバノン、シリア、ヨルダン、イラク、エジプトが始め、後にサウジアラビア、イエメン、モロッコも部隊を派遣しています。こうしたアラブ諸国は、第一次中東戦争で難民が発生する原因をつくった当事者と言うことができます(記事「イスラエルに関するよくある誤解(3)パレスチナ難民の問題を生み出した責任はイスラエルにある」を参照)。ところが、広大な土地に広がるアラブ諸国の中で(下図参照)、パレスチナ難民に門戸を開き、集団的に市民権を与えてきたのはヨルダン一国のみです(他のアラブ諸国も個人ベースで市民権を与えるケースはあります)。兵士は送っても難民は受け入れないというのがアラブ諸国の一貫した態度です。
パレスチナ人のアラブ批判
このようなアラブ諸国の態度に対して、パレスチナ民族主義の指導者ムサ・アラミは、次のように嘆いています。
アラブ各国の政府が、アラブ人難民が自国で就労することを妨げ、門戸を閉ざして収容所に閉じ込めるのは恥ずべきことである(ムサ・アラミ「パレスチナの教訓」『ミドル・イースト・ジャーナル』(1949年10月号)p. 386)
“It is shameful that the Arab governments should prevent the Arab refugees from working in their countries and shut the doors in their faces and imprison them in camps.”
Musa Alami, “The Lesson of Palestine,” Middle East Journal, (October 1949), p. 386. 17
また、パレスチナ自治政府のマハムード・アッバス大統領も、アラブ諸国を次のように批判しています。
パレスチナ人に郷土からの退去を強制した末、ユダヤ人が居住していたゲットー同様の牢屋にぶち込んで放置した16
アッバスが言う「ユダヤ人が居住していたゲットー同様の牢屋」とは難民キャンプのことです。
> 4. 「帰還権」の問題4. 「帰還権」の問題
パレスチナ難民は、イスラエル周辺の国や地域の難民キャンプに留め置かれ、アラブ諸国からは受け入れを拒否されてきました。このパレスチナ難民の問題の解決方法としてアラブ諸国が一貫して主張してきたのが、パレスチナ難民を現在のイスラエルに「帰還」させることです。これをパレスチナ難民の「帰還権」と言います。今も、パレスチナを支援する人々はこの帰還権を主張し、パレスチナ人をイスラエルに戻すように求めます。
帰還権という「人口爆弾」
しかし、これはイスラエルのユダヤ人口を超えるパレスチナ人を送り込み、ユダヤ人国家としてのイスラエルを消滅させる「人口爆弾」となることを意味します。イスラエルは民主主義国家ですので、国会の過半数を占めた政党が政権を取ります。また、イスラエルの憲法(基本法)は単純過半数で改正できます。そのため、アラブ人の人口が過半数を占めてユダヤ人が少数派となると、ユダヤ人国家としてのイスラエルを消滅させることができます。また、過半数を占めなくても、外国と呼応してイスラエルの安全保障を脅かす存在となりえます。いわば、パレスチナ難民の問題は、ユダヤ人国家の消滅をもって解決するようにプログラムされていると言うこともできます。パレスチナ難民は、イスラエルを抹殺するための「武器」とされてきた、ということです。
実際に、エジプトのナセル大統領は、1961年9月1日のインタビューで「難民がイスラエルに戻れば、イスラエルは消滅する18」と語っています。
また、エジプトの外相、ムハンマド・サレフ・エディンはもっと明確に次のように語っています。
周知のとおり、アラブ側の要求する難民のパレスチナ帰還は、奴隷ではなく主人として戻ることを意味する。もっともはっきり言えば、イスラエルの抹殺を意図しているということである。19
さらに、1957年にシリアのホムスで開かれた難民会議では、次のような決議が採択されています。
イスラエルを抹殺する難民の権利を保証しない、いかなるパレスチナ問題の解決に向けた議論も、アラブ人に対する冒涜、背信行為とみなされるだろう(1957年7月15日付『ベイルート・アル・マサ』紙)
Any discussion aimed at a solution of the Palestine problem which will not be based on ensuring the refugees’ right to annihilate Israel will be regarded as a desecration of the Arab people and an act of treason (Beirut al Massa, July 15, 1957).20
このようなアラブ諸国のパレスチナ難民への姿勢に対して、1958年にUNRWA事務局長のラルフ・ギャロウェイは次のように怒りをあらわにしています。
アラブ諸国は難民問題を解決したくないのである。彼らは、国連に対する侮辱、イスラエルに対する武器として、傷を開いたままにしておきたいのだ。アラブ難民が死のうが生きようが、アラブの指導者たちは知ったことではないのである。21
UNRWAも帰還権による解決を前提にしている
現在、国連のUNRWAも、パレスチナ難民の問題は帰還権による解決を前提にしています。UNRWAのホームページでは、「パレスチナ難民をUNHCRが管轄することになれば、パレスチナ難民問題は解決しますか?」というQ&Aで、次のように記しています。
仮にパレスチナ難民がUNHCRの管轄になったとしても、パレスチナ難民であることに変わりはありません。パレスチナ難民の窮状に対する公正かつ永続的な解決がもたらされるまで、パレスチナ難民は国連総会決議194号に基づく権利(訳注:帰還権)を保持することになります。UNHCRが求める難民の永続的な解決は、すべての関係者がそのような解決に同意することにかかっています。
Even if Palestine refugees were to fall under UNHCR’s mandate, they would still be Palestine refugees and retain their rights under General Assembly resolution 194, pending a just and lasting solution to their plight. Any durable solution for refugees sought by UNHCR would still depend on all relevant parties agreeing to such a solution.22
上記の文章で「国連総会決議194号に基づく権利」が、パレスチナ難民の帰還権を指します。UNRWAは、「公正かつ永続的な解決」がもたらされるまで、パレスチナ難民は帰還権を保持すると語っています。「公正かつ永続的な解決」が、いつ、どのようなものになるか、具体的な案は存在しないので、それまでは帰還権を軸にした解決が前提となるということです。
アラブの自己批判
パレスチナ難民を政治の駒として扱うアラブ諸国の姿勢は、内部からも批判されています。たとえば、パレスチナ難民を受け入れ、市民権を与えてきたヨルダンのフセイン国王は、1960年1月のAP社のインタビューで次のように語っています。
1948年8月以降アラブの指導者たちは、まったく無責任な態度でパレスチナ問題に対処してきた。……彼らはパレスチナ人民を、自分の利己的な政治目的に利用するのを常とした。とんでもない話だ。犯罪行為と言ってもよい。23
また、エジプトのムバラク大統領は、1989年に『エルサレムポスト』紙で次のように語っています。
パレスチナ人の「帰還権」要求はまったく非現実的であり、金銭的補償とアラブ諸国への再定住によって解決する必要がある(エジプト大統領ホスニ・ムバラク、『エルサレムポスト』1989年1月26日)
“The Palestinian demand for the ‘right of return’ is totally unrealistic and would have to be solved by means of financial compensation and resettlement in Arab countries.” (Egyptian President Hosni Mubarak, Jerusalem Post, 26 January 1989)24
シリアの首相、ハレド・アル=アズムも、自身の回顧録で次のように記しています。
1948年以降、われわれは難民の帰還を要求してきた。……彼らを退去せしめたのはわれわれだったのだが……われわれは彼らを招き、あるいは圧力をかけて退去せしめ……結局は彼らに災厄をもたらしたのである。……われわれのために彼らは追い立てられた。……われわれは彼らを物乞いを習わしとする地位につき落とし……彼らの道義心と社会的レベルの低下に力を貸した。……そして今度は彼らを利用し、殺人や放火はもとより、女子どもを含む人々に爆弾を投げる諸々の犯罪にかりたてた。すべて、政治目的のために利用したのである。25
もちろん、当のパレスチナ人もアラブ諸国を批判しています。パレスチナアラブ人作家のファウジ・トルキはこう嘆いています。
難民の受入れと統合に反対してきたのは、アラブ諸国政府である。……この非妥協と硬直性のため、代償を支払わなければならぬのはパレスチナ人だけであった。アラブ諸国ではないのだ。人道上の問題と悲劇は、人質政策と無関心がもたらしたものである。26
このように考えると、パレスチナ難民の問題がいまだに解決していない大きな要因の一つは、アラブ諸国がパレスチナ難民を政治の駒として利用していたからである、ということが見えてきます。また、国連も、そのような仕組みの一部となっているという側面があります。
> まとめまとめ
以上で、パレスチナ難民の問題がいまだに解決していない理由を以下のように見てきました。
- パレスチナ難民が実質よりはるかに大きな数に計算されていて、現実的な解決が難しくなっている。
- 国連がパレスチナ難民の問題を解決する体制になっていない。
- 難民の受け入れ先として最も有力なアラブ諸国が難民の受け入れを拒否している。
- パレスチナ難民は、イスラエルを抹殺するための「武器」とするため温存されてきた。
パレスチナ難民の問題が解決してない決定的な原因は、アラブ諸国がパレスチナ難民をイスラエル抹殺のための「武器」としてきたことです。しかし、パレスチナ難民の帰還権を全面的に認めることはユダヤ人国家の消滅を意味しますので、イスラエルは認めることができません。イスラエルは、1949年に10万人のパレスチナ難民の帰還権を認める提案を行ったように、一部の受け入れを提案してきていますが、アラブ側にすべて却下されています。帰還権の問題は和平交渉の際に必ず持ち出されますので、交渉を袋小路に追い込む原因となってきました。
ただ、2020年のアブラハム合意により、アラブ首長国連邦(UAE)などのアラブ諸国がイスラエルと和平を実現し、国家承認を行ったことにより、状況が変わりつつあります。これまでイスラエルの抹殺のために温存されてきたパレスチナ難民ですが、イスラエルを承認すれば温存しておく必要がなくなるためです。そのため、現実的な解決がもたらされる可能性があります。
しかし、それとは別に、パレスチナ難民の解決が進まないもう一つの問題があります。
> パレスチナテロ組織の存在が問題の解決を難しくしているパレスチナテロ組織の存在が問題の解決を難しくしている
アラブ人自身が認めているように、アラブ諸国はパレスチナ難民をイスラエルを抹殺するための政治的な「駒」として使ってきました。その結果、難民キャンプに閉じ込められて行き場を失ったパレスチナ人は、過激化してテロ組織を結成するようになります。そして、そのようなテロ組織が滞在国や周辺国の安全を脅かすという歴史が繰り返されます。そのため、難民の受け入れに比較的に前向きだったアラブ諸国も、今では受け入れに消極的になっています。この現象も、パレスチナ難民の問題を解決する上で大きな障害となっています。
行く先々で内戦を起こしたパレスチナ解放機構(PLO)
アラブ諸国の中で、パレスチナ難民に市民権を与えてきた国はヨルダン一国のみだったということは先述しました。これは元々、1922年に英国のパレスチナ委任統治が始まった時点では、ヨルダンはパレスチナの一部であったことも要因の一つです。当時、パレスチナは、現在のヨルダンを含む地域を指していました。ヨルダン川を境に西を西パレスチナ、東を東パレスチナ(現在のヨルダン)と呼び、東西パレスチナで一つの経済圏を構成していました。その後、東パレスチナはトランスヨルダンとしてアラブ人の自治区となり、1946年に独立することになります。イスラエルが建国される2年前のことです。
そのような経緯もあり、ヨルダンはパレスチナ難民を自国に迎え入れて市民権を与え、国民の半数近くがパレスチナ人という時もありました(現在は公式な統計がない)。しかし、パレスチナ難民は、パレスチナ解放機構(PLO)を中心に武装し始め、難民キャンプを国家内国家のようにしてヨルダンのハシェミテ王朝の脅威を脅かす存在になります。そして、PLOを中心とするパレスチナテロ組織は、ハシェミテ王朝を倒し、ヨルダンにパレスチナ国家を建設しようと画策するようになります。そのような動きを止めようとしたヨルダン軍とPLOとの間に起こったのが「黒い九月事件」と呼ばれる軍事衝突(1970年)で、ヨルダンは内戦状態となります。結局PLOはこの内戦に敗れ、ヨルダンを追放されます。
ヨルダンを追放されたPLOが向かった先が、レバノンです。PLOはレバノンでも国家内国家を築き、最終的にレバノン政府とも内戦になります(1975年~1990年)。イスラエルが1982年にレバノン政府に味方して介入したこともあって、PLOはこの内戦にも破れ、今度はチュニジアに逃れます。
このようにPLOは行く先々で内戦を起こすことで、パレスチナ難民が滞在国で市民権を得ることが難しくなっていきます。パレスチナ難民の問題が解消されないのは、このようなパレスチナテロ組織の歴史も背景にあります。
2006年のパレスチナ総選挙で勝利したテロ組織ハマス
2006年のパレスチナ総選挙でハマスが勝利したことも、パレスチナ難民の問題解決が遠のいた一因です。この選挙では、武力闘争路線を放棄したPLO主流派のファタハや、イスラエルとの共存を掲げるサラーム・ファイヤード首相の「第三の道」などの政党を破り、イスラム原理主義政党のハマスが勝利しました。ハマスは132議席中の74議席を獲得し、単独与党となります。その後、ハマスとファタハの内紛が起こり、ヨルダン川西岸地区はファタハを中心とするパレスチナ自治政府が支配し、ガザ地区はハマスが実効支配するようになって今に至ります。
ハマスは、ムスリム同胞団を母体とするイスラム原理主義組織です。ムスリム同胞団は、アラブ各国にイスラム原理主義を広めている組織であり、バーレーン、エジプト、シリア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦などからテロ組織の指定を受け、活動が禁止されています。
パレスチナ人は、ハマスを与党に選出したことでわかるように、イスラム原理主義者を多数抱えています。そのため、イスラム主義組織を脅威と感じる国は、パレスチナ難民を受け入れることが難しくなっています。実際に、2023年10月7日のハマスのテロを受けて、イスラエル軍がガザ地区に侵攻し、難民が発生することが予想されたときも、エジプトとヨルダンは難民の受け入れを拒否するとすぐに表明しています27。
パレスチナのガザ地区を「世界最大の監獄」と呼ぶ人々がいます。イスラエルがテロ防止のために壁を築いて国境を封鎖し、人と物の出入りが制限されているためです。しかし、ガザ地区の国境はイスラエルだけでなく、エジプトにもあることが忘れ去られがちです。しかも、イスラエルとの国境は人と物の出入りが許されていた一方で(2023年10月7日のテロ攻撃以前)、エジプトとの国境で出入りが許されているのは物だけです。エジプトがガザとの国境を封鎖している理由の一つは、国内で活動を禁止しているムスリム同胞団の一派であるハマスの活動家が出入りすることを防ぐためです。
2023年10月7日のハマスのテロ攻撃に関して、パレスチナ人を対象にして実施された世論調査では、回答者の75%がハマスのテロ攻撃を支持しています。意外なのは、ハマスが実効支配するガザの住民以上に、穏健派であるはずのファタハが支配するヨルダン川西岸地区の住民の方がハマスの攻撃を支持する人が多かったことです(ガザ地区の住民は63.6%が支持と回答したのに対し、ヨルダン川西岸地区の住民は83.1%が支持と回答)。この事実は、問題はハマスであって、ハマスを葬り去れば問題は解決すると信じる人々の希望を打ち砕くものです。また、パレスチナ人の74.7%が、イスラエルとパレスチナ国家が共存する二国家解決案ではなく、パレスチナ国家だけが「地中海からヨルダン川まで」を支配する、つまりイスラエルの存在を認めない一国家解決案を支持すると回答しています28。
このような状況なると、イスラエルがパレスチナ難民の一部を受け入れることにも慎重になります。テロリスト予備軍を自国に迎え入れる危険性があるためです。
> 最後に最後に
イスラエル・パレスチナ紛争は、世界でも最も解決が難しい紛争の一つです。近い将来に政治的な解決がもたらされる見通しは立っていません。
しかし、この問題は霊的な問題でもあります。心の問題と言い換えてもよいでしょう。この点でヒントになるのは、ハマス創設者の息子として生まれ、みずからもパレスチナ闘争に参加してイスラエルに何度も逮捕されたことがあるモサブ・ハッサン・ユーセフの言葉です。ユーセフは、新約聖書を読み、イエスのみことばに触れたときの体験を次のように語っています。
何年間も、自分の敵は誰なのかを知ろうとして葛藤し、イスラム教とパレスチナの外に敵を探してきた。しかし、ある日突然、イスラエル人は自分の敵ではないことに気付いた。……私は、敵とは国籍や、宗教、肌の色で決まるものではないと悟った。私たちはみな同じ共通の敵を抱えていることに気付いたのである。それは、貪欲、高ぶり、あらゆる悪い思い、そして私たちの内にある暗やみに住む悪魔である。……5年前にイエスの言葉を読んでいたら、何をバカなことを言ってやがると聖書を投げ捨てていただろう。しかし、今では新約聖書のページでイエスが語る一つひとつの言葉がまったく理にかなっていて、胸にストンと落ちるのだ。圧倒されて、私は声を上げて泣き始めた。
For years I had struggled to know who my enemy was, and I had looked for enemies outside of Islam and Palestine. But I suddenly realized that the Israelis were not my enemies… I understood that enemies were not defined by nationality, religion, or color. I understood that we all share the same common enemies: greed, pride, and all the bad ideas and the darkness of the devil that live inside us… Five years earlier, I would have read the words of Jesus and thought, What an idiot! and thrown the Bible away… But now, everything Jesus said on the pages of this book made perfect sense to me. Overwhelmed, I started to cry.30
イスラエル・パレスチナ紛争が解決するには、人心の一新が必要です。そのためには、キリストの福音を通して、モサブ・ハッサン・ユーセフのような人が増えることが欠かせません。イスラエル・パレスチナ紛争は霊的な戦いでもあるのです。
> 参考資料参考資料
- ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(上)』(サイマル出版会、1988年)
- ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(下)』(サイマル出版会、1988年)
- アラン・ダーショウイッツ著(滝川義人訳)『ケース・フォー・イスラエル 中東紛争の誤解と真実』(ミルトス、2010年)
- “Myths & Facts – The Refugees,” Jewish Virtual Library (https://www.jewishvirtuallibrary.org/myths-and-facts-the-refugees)
- Mitchell Bard, “The Palestinian Refugees: History & Overview,” Jewish Virtual Library (https://www.jewishvirtuallibrary.org/history-and-overview-of-the-palestinian-refugees)
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“Palestine refugees,” UNRWA (https://www.unrwa.org/palestine-refugees) ↩
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“About UNHCR The 1951 Refugee Convention,” UNHCR (https://www.unhcr.org/about-unhcr/who-we-are/1951-refugee-convention) ↩
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“Palestine refugees,” UNRWA (https://www.unrwa.org/palestine-refugees) ↩
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ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(上)』(サイマル出版会、1988年)p.384の表を元に作成 ↩
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アラン・ダーショウイッツ著(滝川義人訳)『ケース・フォー・イスラエル 中東紛争の誤解と真実』(ミルトス、2010年)p.111 ↩
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ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(下)』(サイマル出版会、1988年)p.195 ↩
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“Palestine refugees,” UNRWA (https://www.unrwa.org/palestine-refugees) ↩
-
“Refugees” section in “Demographics of Jordan,” Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_Jordan#Statistics) ↩
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“Where We Work,” UNRWA (https://www.unrwa.org/where-we-work/west-bank) ↩
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“Where We Work,” UNRWA (https://www.unrwa.org/where-we-work/gaza-strip) ↩
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“Refugees” section in “Demographics of Jordan,” Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_Jordan#Statistics) ↩
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「国際連合パレスチナ難民救済事業機関」(Wikipedia) ↩
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“Frequently asked questions,” UNRWA (https://www.unrwa.org/who-we-are/frequently-asked-questions) ↩
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ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(上)』(サイマル出版会、1988年)p.44 ↩
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ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(上)』(サイマル出版会、1988年)P.223 ↩
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“Myths & Facts – The Refugees,” Jewish Virtual Library (https://www.jewishvirtuallibrary.org/myths-and-facts-the-refugees) ↩
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Isi Liebler, The Case For Israel, (Australia: The Globe Press, 1972), p. 45 ↩
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アラン・ダーショウイッツ著(滝川義人訳)『ケース・フォー・イスラエル 中東紛争の誤解と真実』(ミルトス、2010年)p.110 ↩
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“Myths & Facts – The Refugees,” Jewish Virtual Library (https://www.jewishvirtuallibrary.org/myths-and-facts-the-refugees) ↩
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ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(上)』(サイマル出版会、1988年)P.37 ↩
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“Frequently asked questions,” UNRWA (https://www.unrwa.org/who-we-are/frequently-asked-questions) ↩
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ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(上)』(サイマル出版会、1988年)p.37 ↩
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“Why doesn’t Israel let the Palestinian refugees return?,” Israel Advocacy Movement (http://www.israeladvocacy.net/knowledge/the-truth-about-palestinian-refugees/why-doesnt-israel-let-the-palestinian-refugees-return/) ↩
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ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(上)』(サイマル出版会、1988年)p.26 ↩
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ジョーン・ピーターズ著(滝川義人訳)『ユダヤ人は有史以来(下)』(サイマル出版会、1988年)p.213 ↩
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“Why Jordan and Egypt are saying ‘no’ to accepting Palestinian refugees from Gaza,” Business Insider (https://www.businessinsider.com/why-jordan-egypt-say-no-to-refugees-from-gaza-experts-2023-10?op=1) ↩
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DANIELLE GREYMAN-KENNARD, “Palestinians in Gaza, West Bank strongly support Hamas, October 7 attack,” The Jerusalem Post, 17 Nov 2023 (https://www.jpost.com/arab-israeli-conflict/article-773791) ↩
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“UNRWA Education: Textbooks and Terror,” Impact-Se (https://www.impact-se.org/wp-content/uploads/UNRWA-Education-Textbooks-and-Terror-Nov-2023.pdf) ↩
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Mosab Hassan Yousef, Son of Hamas (Authentic Media, 2011) ↩