イスラエルに関するよくある誤解(4)イスラエル建国は聖書預言の成就ではない

イスラエル建国宣言

この記事は、事実や史実に基づいて、イスラエルに関する誤解を解いていくシリーズの第四回目です。

はじめに

多くのクリスチャンは、1948年のイスラエル建国を聖書預言の成就と考える。また、イスラエル人自身も、そう考えている人が多い。ベンヤミン・ネタニヤフ首相もそのうちの一人で、アウシュビッツ強制収容所跡を訪れた際に、ホロコースト記念日の演説として次のように語っている。

(ホロコーストの後)ユダヤ民族は灰と破壊の中から、決して癒されることのない恐ろしい痛みの中から立ち上がった。ユダヤ人の精神、人間の正義、そして預言者たちの幻を武器に、私たちは新しい枝を伸ばし、深く根を下ろした。枯れ骨は肉に覆われ、霊が入り、生きる者となって自分の足で立つようになった。
 エゼキエルは次のように預言している。「主は私に言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言っている。『私たちの骨は干からび、望みは消え失せ、私たちは断ち切られた』と。それゆえ、預言して彼らに言え。『【神】である主はこう言われる。わたしの民よ、見よ。わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓から引き上げて、イスラエルの地に連れて行く」(エゼキエル37:11~12)

After the Holocaust, he continued, “the Jewish people rose from ashes and destruction, from a terrible pain that can never be healed. Armed with the Jewish spirit, the justice of man, and the vision of the prophets, we sprouted new branches and grew deep roots. Dry bones became covered with flesh, a spirit filled them, and they lived and stood on their own feet.”
“As Ezekiel prophesied: ‘Then He said unto me: These bones are the whole House of Israel. They say, ‘Our bones are dried up, our hope is gone; we are doomed.’ Prophesy, therefore, and say to them: Thus said the Lord God: I am going to open your graves and lift you out of your graves, O My people, and bring you to the land of Israel.’”1

ネタニヤフ首相は、ホロコーストという絶望的な状況からイスラエルが建国されたことは、預言者エゼキエルによる預言の成就であると信じている。このエゼキエルの預言は、「枯れ骨の谷」の預言として知られ、ユダヤ人がイスラエルの地に帰還することを預言したものと考えられている。

同様の発言は、イスラエルのイツハク・ヘルツォグ大統領も2022年4月27日のホロコースト記念日の演説で行っている。イスラエル建国が聖書預言の成就であることは、一定数のイスラエル人の間で共有されている認識であることがわかる。

ダラス神学校のルイス・バービエリ(Louis Barbieri)博士は、エゼキエルの預言とイスラエルの建国について次のように語っている。

 1948年5月14日は、イスラエル国民全員の心に深く刻みつけられている。この日に、偉大な出来事が起こった。2千年間近く消えていた国が、独立国家として再び出現したのである。……
 イスラエルの聖地への帰還は、現代の奇跡である。この出来事は、預言者エゼキエルがキリストの時代の5百年以上前にはっきりと預言していたことである。エゼキエル37章にはこうある……現代イスラエルの状況は、エゼキエルが幻で見た状況とまったく同じように見える。イスラエルは約2千年死んでいたが、墓場からよみがえったのである。2

イスラエル建国が預言の成就であることを否定する理由

しかし、イスラエル建国は聖書預言の成就ではないと主張する人々は多い。そのように考える理由で代表的なものは以下の2つである。

置換神学

クリスチャンがイスラエル建国は聖書預言の成就ではないと主張する根底には「置換神学」がある。置換神学とは、イスラエルはイエスをメシア(キリスト)として受け入れなかったので、選民としてのポジションを失い、教会が代わりに「新しいイスラエル」となったと主張する神学である。置換神学に立つクリスチャンは、神がイスラエルに対して特別な計画を持っているとは考えないので、イスラエル建国が預言の成就だとは考えない。これは聖書を字義通りに読まないことの結果で、誤った聖書の読み方である。

MEMO
置換神学の問題については別の記事で取り上げたいと考えている。

聖書預言の文脈

もう一つの理由は、ユダヤ人のイスラエルの地への帰還を預言したみことばでは、ユダヤ人は神を信じる信仰者として帰還すると預言されていると論じる。たとえば、先ほどの「枯れ骨の谷」の預言を語ったエゼキエルは、エゼキエル11:14~21で次のように預言している。

14 そのとき、次のような【主】のことばが私にあった。 15 「人の子よ。エルサレムの住民は、あなたの兄弟、同胞、あなたに買い戻しの権利がある親類の者たち、またイスラエルの全家のすべての者に対して、こう言った。『【主】から遠く離れよ。この地はほかでもないわれわれの所有地として与えられているのだ。』 
16 それゆえ言え。『【神】である主はこう言われる。わたしは彼らを遠く異邦の民の中へ移し、国々の中に散らした。しかし、わたしは彼らが行ったその国々で、しばらくの間、彼らの聖所となっていた。』 
17 それゆえ言え。『【神】である主はこう言われる。わたしはあなたがたを諸国の民の中から集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを呼び寄せ、あなたがたにイスラエルの地を与える。』 
18 彼らがそこに来るとき、すべての忌まわしいもの、すべての忌み嫌うべきものをそこから取り除く。 19 わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。 20 こうして、彼らはわたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行う。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。 21 しかし、忌むべきもの、忌み嫌うべきものの心を、自分の心として歩む者には、その行いを頭上に返す──【神】である主のことば。」 

この預言ではユダヤ人のイスラエルの地への帰還が語られているが、「彼らはわたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行う。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる」(20節)と言われている。つまり、帰還した民は主なる神を信じる信仰の民となっている。しかし、イスラエル建国の礎となったシオニスト運動を指導した指導者は、基本的に世俗的ユダヤ人で、帰還した人々の多くも正統派ユダヤ教徒でないばかりか、不可知論者や共産主義の無神論者もいるという状態だった。そのようなイスラエル国家の状態は、エゼキエルが預言していた状況とは大きく異なる。そのため、イスラエル建国が聖書預言の成就であるはずはないというのである。

キリスト教の異端である「エホバの証人」もそのような考えで、公式サイトで次のように語り、イスラエル建国が聖書預言の成就であることを否定している。

現代のイスラエルは,世俗の民主国家であり,公式には,聖書の神に頼っているとの主張をしていません。1948年当時のイスラエル人たちは,独立宣言ができたのはエホバ神のおかげだと考えていたでしょうか。いいえ。同宣言の原文には,神の名も“神”という語さえも使われていません。……聖書の神がそのような民のために20世紀における最も偉大な預言的奇跡を行なわれる,と考えるのは,道理にかなったことでしょうか。3

以上のような主張は、たしかにもっともらしく聞こえる。しかし、そのような主張は、聖書はユダヤ人の帰還は二段階で起こると預言していることを見落としているために起こる誤解である。

ユダヤ人の帰還は二段階で起こる

聖書では、ユダヤ人の帰還は次のように二段階で起こることが預言されている。

  1. 第一段階:不信仰の状態での帰還
  2. 第二段階:信仰のある状態での帰還

そのため、宗教的でない世俗的ユダヤ人がシオニスト運動を始めたという歴史的事実は、聖書預言と一致する。ユダヤ人のイスラエルの地への帰還が、宗教的ユダヤ人ではなく、世俗的ユダヤ人の手によって始められたことは、イスラエル建国が聖書預言の成就であることを否定する根拠になるどころか、イスラエル建国が聖書預言の成就であることを証明するものである。

不信仰の状態での帰還

ユダヤ人が不信仰の状態でイスラエルの地に集められることは、エゼキエル20:33~36で預言されている。

33 わたしは生きている──【神】である主のことば──。わたしは必ず、力強い手と伸ばした腕、ほとばしる憤りをもって、あなたがたを治める。 34 わたしは、力強い手と伸ばした腕、ほとばしる憤りをもって、あなたがたを諸国の民の中から導き出し、その散らされている国々からあなたがたを集める。 35 わたしはあなたがたを国々の民の荒野に連れて行き、そこで顔と顔を合わせて、あなたがたをさばく。 36 わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの地の荒野でさばいたように、あなたがたをさばく──【神】である主のことば──。

この箇所で、エゼキエルは将来に起こるユダヤ人の帰還を出エジプトにたとえている。出エジプト時代のイスラエルは、エジプトを出て約束の地に向かったが、多くの人は不信仰のためにさばかれ、荒野で死に絶えた。同様に、将来にも不信仰の状態でユダヤ人の帰還が起こることを預言している。

この点は、ユダヤ人が「力強い手と伸ばした腕、ほとばしる憤りをもって」散らされている国々から集められると言われていることからもわかる。ここでは、不信仰なユダヤ人を神が強制的に集める様子が描写されている。この描写は、迫害やホロコーストによる虐殺を逃れてイスラエルの地に来たユダヤ人の状況と一致する。

エゼキエル22:17~22でも、ユダヤ人が不信仰の状態で帰還することが預言されている。

17 次のような【主】のことばが私にあった。 18 「人の子よ、イスラエルの家はわたしにとって金かすとなった。彼らはみな、炉の中の青銅、すず、鉄、鉛であり、銀の金かすとなった。」 
19 それゆえ、【神】である主はこう言われる。「あなたがたはみな金かすとなったから、今、わたしはあなたがたをエルサレムの中に集める。 20 銀、青銅、鉄、鉛、すずが炉の中に集められるのは、火を吹きつけて溶かすためだ。そのように、わたしは怒りと憤りをもってあなたがたを集め、そこに入れて溶かす。 21 わたしがあなたがたを集め、あなたがたに向かって激しい怒りの火を吹きつけると、あなたがたは町の中で溶ける。 22 銀が炉の中で溶かされるように、あなたがたも町の中で溶かされる。このとき、あなたがたは、【主】であるわたしがあなたがたの上に憤りを注いだことを知る。

この箇所では、イスラエルの地に帰還したユダヤ人を清めるためのさばきが行われることが、特にエルサレムの状況に当てはめて語られている。ユダヤ人は、イスラエルの地で試練を経験し、炉の中の銀のように錬られる。そして、主の民として新生するのである。

このようなさばきは最終的に大患難時代に訪れる。それは、ゼパニヤ2:1~2で次のように預言されているためである。

1 ともに集まれ、集まれ。恥知らずの国民よ。 2 御定めが行われて、その日が籾殻のように過ぎ去らないうちに。【主】の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。【主】の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。 

これはユダヤ人に対する語りかけである。最初に「ともに集まれ、集まれ」と言われているのは、ユダヤ人の帰還のことを語っている。「【主】の怒りの日」とは、先行するゼパニヤ1:14で言われていた「【主】の大いなる日」のことで、大患難時代を指している。「【主】の日」というのは、旧約聖書で大患難時代を指すときに使われる最も一般的な名称である。つまり、ゼパニヤ2:1~2は、ユダヤ人が帰還した後、大患難時代にユダヤ人が主のさばきを経験することを預言している。

最後に、ダニエル9:27の預言からも、イスラエルが大患難時代の前に不信仰の状態で建国されていることがわかる。ダニエル9:27では、大患難時代は反キリストがイスラエルと7年間の契約を締結した時点から始まると預言されている(「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び」)。そうした契約が結ばれるということは、その時にはユダヤ人国家が存在していることを意味する。また、エゼキエル22:17~22で言われていたように、大患難時代は不信仰なイスラエルが試練を通過して錬られる時代である。そのため、大患難時代が来る前にユダヤ人国家が建国されている必要がある。

信仰のある状態での帰還

一方、イザヤ11:10~12では、信仰のある状態で起こる第二段階の帰還が預言されている。

10 その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。 11 その日、主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りの者を買い取られる。彼らは、アッシリア、エジプト、パテロス、クシュ、エラム、シンアル、ハマテ、海の島々に残っている者たちである。 12 主は国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。 

10節の「エッサイの根」とは、イエス・キリストのことである(ローマ15:12参照)。この箇所は、キリストが再臨した後、千年王国(メシア的王国)の時代が始まる前の場面である。この時に、メシア的王国の祝福の準備として、イスラエルの信仰ある「残りの者」(11節)が「地の四隅」(12節)から集められる。

11節では、「主は再び御手を伸ばし」と言われている。この「再び」という言葉から、この帰還が初めてではないことがわかる。多くの英語訳聖書(ASV、NASB、NIVなど)では、「再び」の部分が「second time」(二度目)と訳されている。ここでは「地の四隅」からユダヤ人を集めると言われているので、一度目はバビロン捕囚の帰還ではないことがわかる。バビロン捕囚の帰還では、地の四隅ではなく、一国から帰還したからである。つまり、この前に一度目の世界的な帰還があったということになる。

この箇所は、ユダヤ人の世界的な帰還運動が二度あることを証言している。

「枯れ骨の谷」の預言

冒頭のネタニヤフ首相の演説で引用されていた「枯れ骨の谷」の預言でも、イスラエルの帰還には2段階あることがわかる。

この預言では、預言者エゼキエルが神から「枯れ骨の谷」の幻を啓示される(エゼキエル37:1~14)。この幻で、エゼキエルは平地(ヘブル語では「山と山の間にある平原の谷」という意味)の真ん中に置かれる。その周りには、非常に多くの干からびた骨があった。この骨に、エゼキエルは次のように預言するように主から命じられる(エゼキエル37:4~6)。

4 主は私に言われた。「これらの骨に預言せよ。『干からびた骨よ、【主】のことばを聞け。 5 【神】である主はこれらの骨にこう言う。見よ。わたしがおまえたちに息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。 6 わたしはおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちのうちに息を与え、おまえたちは生き返る。そのときおまえたちは、わたしが【主】であることを知る。』」 

そして、実際にエゼキエルが預言をすると骨に次のような変化が現れる。

第一段階の「不信仰の状態での帰還」

エゼキエル37:7~8では、次のように言われている。

7 私は命じられたように預言した。私が預言していると、なんと、ガラガラと音がして、骨と骨とが互いにつながった。 8 私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。しかし、その中に息はなかった。 

この部分の意味は、エゼキエル37:11~12で次のように解説されている。

11  主は私に言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言っている。『私たちの骨は干からび、望みは消え失せ、私たちは断ち切られた』と。 12  それゆえ、預言して彼らに言え。『【神】である主はこう言われる。わたしの民よ、見よ。わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓から引き上げて、イスラエルの地に連れて行く。 

11節を読むと、干からびた骨は、希望を失っているイスラエルの民(ユダヤ人)のことであることがわかる。この言葉はホロコーストを経験したユダヤ人によく当てはまる。

12節では、主なる神がこの骨(ユダヤ人)をイスラエルの地に連れて行くと言われている。つまり、これはユダヤ人のイスラエルの地への帰還の預言である。

一方、8節を見ると、この民には「息」がなかったと言われている。「息」は、原語のヘブル語では「ルアハ」である。息や風を意味する言葉だが、「霊」「神の霊」という意味もある。新約聖書では、メシア(キリスト)を信じて救われる者には、神の霊である聖霊の内住が約束されている(1コリント6:19)。しかし、この段階ではイスラエルの民には神の霊が入っていないので、まだ不信仰の状態にあることがわかる。

この箇所は、ユダヤ人の不信仰な状態での帰還を預言している。

第二段階の「信仰のある状態での帰還」

続くエゼキエル37:9~10では、次のように言われている。

9  そのとき、主は言われた。「息に預言せよ。人の子よ、預言してその息に言え。『【神】である主はこう言われる。息よ、四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。』」 
10  私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立った。非常に大きな集団であった。 

この箇所を解説したのが、次のエゼキエル37:13~14である。

13 わたしの民よ。わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げるとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知る。 14 また、わたしがあなたがたのうちにわたしの霊を入れると、あなたがたは生き返る。わたしはあなたがたを、あなたがたの地に住まわせる。このとき、あなたがたは、【主】であるわたしが語り、これを成し遂げたことを知る──【主】のことば。』」 

10節で「息が彼らの中に入った」とあるように、ここではユダヤ人が救われて聖霊の内住を受けたことがわかる。この第二段階の帰還の時には、イスラエルは新生を体験して生まれ変わっている。この預言は、すべてのユダヤ人がイエス(イェシュア)をメシアとして受け入れた時に成就する。

この第二の帰還の預言が成就するのは、千年王国が始まる前である。

このように、エゼキエルの「枯れ骨の谷」の預言でも、ユダヤ人の帰還が「不信仰な状態での帰還」と「信仰のある状態での帰還」という2段階で行われることが預言されている。

神のイスラエルに対する計画の全体像

以上見てきたように、聖書ではイスラエルは次のような段階を通って民族的な救いを経験することが預言されている。

  1. 不信仰の状態での帰還(第一段階の帰還。さばきの準備としての帰還)
  2. 大患難時代のさばき
  3. イスラエルの民族的救いとキリストの再臨
  4. 信仰のある状態での帰還(第二段階の帰還。祝福の準備としての帰還)
  5. 千年王国(メシア的王国)の到来

最初に紹介したエゼキエル11:14~21も、よく読むと上記と同じような順序で記されていることがわかる。

  1. 17節「わたしはあなたがたを諸国の民の中から集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを呼び寄せ、あなたがたにイスラエルの地を与える」(第一段階の帰還)
  2. 18節「彼らがそこに来るとき、すべての忌まわしいもの、すべての忌み嫌うべきものをそこから取り除く」(大患難時代のさばき)
  3. 19節「わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える」(第二段階の帰還および千年王国での状態)

結論

ユダヤ人の帰還は二段階で起こる。第一段階は不信仰な状態での帰還、第二段階は信仰のある状態での帰還である。

イスラエル建国を実現したシオニスト運動は、第一段階の不信仰な状態での帰還である。そのため、現在のイスラエル人に数多くの無神論者や世俗的なユダヤ人がいることは聖書に反することではなく、逆に聖書の預言どおりの状況である。そのため、「イスラエル建国は聖書預言の成就ではない」という主張は、帰還は二段階で起こるという聖書預言を知らないために起こる誤解である。

参考資料

  • アーノルド・フルクテンバウム著『ヘブル的キリスト教入門』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2014年)
  • アーノルド・フルクテンバウム著『イスラエル学』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2018年)
  1. Joel C. Rosenberg, “Israeli President Herzog declares the Jewish state’s rebirth in 1948 was a fulfillment of Ezekiel 37 – good for him – most Evangelicals believe this, but few Israelis talk about it,” All Israel News, 5 May 2022

  2. アーノルド・フルクテンバウム著『イスラエル学』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2018年)p. 188

  3. エホバの証人「聖書で預言されていたのは現代のイスラエルのことですか

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